薬物依存症からの回復を目指す

モモちゃの言いっぱなし!

お弁当

今週のお題「お弁当」

 

モモは基本1日3食の炊事をしています。

もちろん家族のお弁当も作ってます🍱。

専業主夫で炊事をしている人は今はあたりまえで多いと思いますが、どうでしょう…。

 

昭和生まれの人なら「男子厨房に入らず」、

という言葉を聞いたことがあると思います。

「男の人は炊事などしないで、自分の仕事をしなさい」という意味らしいです…。

孟子の「君子遠庖厨」(くんしはほうちゅうにとおざく)が元になって創られた言葉だそうですが意味はまったく違うそうです。

興味ある方はお調べください。

ちなみに、今では古代思想や死語の類いになっています。

 

モモは子供はいないので、作るお弁当は一つ。

家族が社食のあった勤務先から、社食のない勤務先に移動することで作るようになりました。

もう5年以上作り続けています。

最初は、朝のバタバタする時間にお弁当なんて作れるかなぁ…みたいな不安もありましたが、

頼まれたからには作らなくっちゃね!

今でこそ朝食はご飯とお味噌汁ですが、お弁当作りを始めた頃はパン食。

さっさと食事を済ませてお弁当作り。

おトイレ我慢することもあった…💩。

この我慢が便秘の原因にもなるそうなので、我慢しないようにネ^_^

 

 

始めた頃も今も、基本は冷凍食品か夕飯の残り物。テレビで見るような、ママが作る可愛いお弁当や愛妻弁当ってわけじゃないです。

ただ気をつけてたのは、少ない量でも野菜系を必ず入れていました。

キャベツ、ブロッコリーミニトマトなど。

もう一つ!自然解凍OKな物。

最初はレンチン物を多く使用していましたが、レンチンは良くないとネットなどにあったので…。

でも調べてみたら、特に害はないともありました。良い悪いどちらも理由が書かれていましたが、今さらな気がしました。

が!やたら自然解凍OKの冷凍食品が増えてきたので、自然にそれを選ぶようになりました。

ご飯を盛って、凍ったお惣菜と野菜を入れたら、あとは真ん中に梅干しを入れて完成!

5分で終わります。

全然負担にならないから続くんだよね〜!

 

モモは子供の頃、祖父母と3人で生活をしていました。小学校と高校は給食や食堂がありましたが、中学3年間はお弁当でした。

おばあちゃんのお弁当。

育ち盛りなのもありましたが肉系に偏った弁当だったです。

好き!美味しかった!の一言で、

ボイルするハンバーグやミートボールが連日続くことがよくありました。

「おばあちゃん、もうミートボールはええよ」

「あんたが好きじゃいうけん」

「毎日じゃと飽きるよ」

「ほう?じゃあ、他のにしたげるわ」

別な物…何だっけ?思い出せないくらいミートボールの記憶が強いです。

弁当箱は昔ながらのアルミの弁当箱。

ハンカチで包んでカバンに入れて登校、

学校に着いたら弁当箱からおかず汁が漏れてて、教科書やノートに染みてることがよくありました。

今にして思えば懐かしい思い出です。

 

コロナがあって家族が在宅勤務をするようになって、今は週に2、3回作ってます。

家族も最初の頃は、美味しかったよ!って

メッセージを送ってくれていました。

今でもお弁当を渡す時にありがとうって言ってくれます。

お弁当は自分のためにも作ることもあります。

 

毎日のお弁当は、大切な人…そして、

自分への毎日のプレゼントです。

やめ続けるために③

f:id:momosukechans:20240420205711j:image

一人でやめると考えないこと。

一人で頑張るって?

それは難しいことだと思うよ。

NAやお医者さん、ネットでもいいけど理解してくれる人と繋がるのがいいよ。

どこに繋がる?

キ○友と繋がればスリップ確定〜!

やめ続けたいと思っている人がいいよ。

つながるまでが億劫になるかもしれないけど、

つながりができたら少しずつ変化があるはず。

微妙な変化でもいい…どうせ薬物依存症とは長〜いおつきあいになるんだから。

💎

モモは一人ではなかったです。

生活を支えてくれる人がいたし、古くからの音楽仲間が、すべてを知った上でつきあってくれています。一人だと大変だと思う…。

でも、家族がいても友人がいても薬物依存症を理解してくれてなかったら一人でいることと同じかな…。

そんな人はNAや自助グループ、専門のお医者さんと繋がるってのもあり!

お家を出ることが億劫ならズームでもミーティングに参加できるし、X(Twitter)にも自助グループがあります。

少し前に橘玲という作家さんの本を何冊か読んだんですが、その本の中に「人間は社会的動物だから」という言葉が何度も繰り返し出ます。

人間は一人では生きていけない、人間は人と繋がりがあってこそ生きていけるという事だと思います。キ○友と繋がっても生きていくことも出来ますが、今の日本では捕まれば懲役というとても大きなリスクがともないます。

そのリスクを承知で楽しむのもありですが、

いつかはやめたい、やめれるならやめたい、って思うことがあるなら、やめ続けている人と繋がればいいと思います。

💎

いつでもやめれる…は嘘。

いつでもやれる…は本当。

スリップはいつでも出来るんだから、ちょっと抜いてみようでもいいと思うよ

💎

細かいことですが、お金の管理は大事。

モモの場合、お買い物などで万券を預かって失敗したことが何度かあります。

キャッシュレスにすることで解決!

でも、今はPayPay支払いもあるみたい…

メルカリをやってましたが、売上金で失敗したので家族に丸投げして解決!

若い頃はギャンブルに依存していて借金もあり大変な思いをしましたが、過払い金返還請求で借金はなくなりお金が戻ってきました。

そのお金はほとんど薬物に使ってしまいましたが、それ以後借金をすることはなく、今も借金はありません。依存症の対象がギャンブルから薬物に変わった感じですが、借金して薬を購入することはなかった。

 

あと、溜めない耐えない無理しない!

前回の記事でモモは家事をこなしていることを書きました。料理もお掃除もするのが好きなので特に苦は感じなかったのですが、365日1日3食の献立を考えるのは大変です。

大変になって来た…。

「今日はなんにする?何食べたい?」

「何でもいいよ〜」

何でもいい…何にしよう…悩、悩、悩。

炊事をやり始めた頃は刑務所での食事を思い出し、参考にしながら、野菜中心で肉や魚をなるべく交互に作るようにしていました。

刑務所同様、週一のカレーは必須!

朝はお味噌汁とタンパク質系。お昼は麺類でもいいかな…それともお惣菜?

夕飯は何にしよう…。

刑務所で料理のレシピ本も読んだりもして、ノートにレシピを書き写したりしていましたが、あまり役に立たず…。

法務省のプログラムでそのことを話すと、既婚の女性保護観察官はみんな共感してくれてました。「料理ってパターン化してくるよね〜」

その通りです。

子供がいたらもっと大変だったと思う。

プログラムに来てた人で、モモと同じように専業主夫をしていると言ってた人がいましたが、子供もいるとのこと。大人だけでも大変なのに、発育盛りの子供の献立を考えるなんて…!

でも子供がいたら出来るのかな…。

モモは子供がいないからわからない。

みんなご飯を作ってくれる人、ママさんやパパさんに感謝しようね!

 

作るのは平気だけど、献立を考えるのは正直ストレスになりかけていました。

そんな時、音楽仲間の友人が言っていた話しを思い出しました。その友人は学生の頃からのつきあいで既婚者です。夫婦共働きで炊事は自分がやっていると言ってました。

その友人の言うことには、夕飯は料理の食材やレシピが書かれた冊子を毎日配達してくれる業者に頼んでいるとのことでした。

週5日間、1日分の食材を毎日配達してくれます。届いた食材をレシピを見ながら作るだけ。

家族に状況を話して了解を得る。

お試しを頼んでみると、食材は国産のちゃんとしたものだし、献立も偏らずバランスがとれていて良いものでした。なにより毎日の献立を前週に家族と一緒にレシピを見ながら決めれるのがよかった…。毎日の献立を考えなくてもよいのは精神的にすごく楽!しかもいろんな料理を作れるので、レパートリーも増えて楽しいかな…。

毎日続けていくことが楽しいことであれば、それも抑止する力になると思う。

だから楽しくなかったら無理はしない、負担になるものはやらない。無理をしたら必ず反動があり、それはスリップにつながる可能性があるから…。

と、言うことで、モモはこんな感じで1日1日を凌いでます。これはモモの場合です。

人それぞれ違うからね。何か参考になることがあればいいと思うよ。

(とりあえず終わり)

やめ続けるために②

朝のお味噌汁と家族のお弁当、昼飯夕飯はモモが作ります。

モモのお仕事です。

午後、お昼を済ませたら特にスケジュールを決めてるわけではないので、夕飯の準備をする16時までは余暇みたいな時間です。

映画を見たりYouTubeを見たり、メルカリや家族に頼まれた用事をやったり、お買物に行ったりします。

専業主夫ですから^_^

 

最初の懲役後も同じような生活リズムではありましたが、心構えが今とはまったく違っていました…。

「こんなことしてていいのかなぁ…」

「自分は家族のお荷物じゃない?」

自尊心の欠如があったと思います。

なんでもかんでも悪い方に考えていたと思う。

 

その間も家族は支えてくれていて、モモが刑務所服役中に心理カウンセラーの資格を取得したり、薬物依存症の本を読んだりして自分の状況を理解してくれようとしていました。

今でもそういう姿勢でいてくれて、モモが読み終えた薬物関連の本を読んで勉強してくれています。

ありがたいと思います…。

ところが出所後半年でスリップ。

再発再使用で薬物の使用をするようになってしまいました。そして再び逮捕されるのですが、ここでは省きます。

 

その時と今で違うこと…

それは自分の性癖をカミングアウトしたこと。

モモの場合は薬物とセックスが同期していたので、家族に隠れて薬物を使用していました。

依存症の本にもありましたが、この隠れて使用する、バレても嘘をつくが、病気を進行させてしまう要因だと思います。

自分の性癖をカミングアウトすることで、薬物の事を何のしがらみもなく話せるようになりました。性的マイノリティで少しアブノーマルなことですが、家族は薬物依存症同様に受け入れてくれています。

そして自分の意識が変わりました。

自分も家族を支えているって思えるようになりました。専業主夫という名称は昔はなかったですよね?今では職業を選択するところに専業主夫という項目があったりします。

専業主夫」これもお仕事だと思えるようになりました。自分が今やるべきことだと素直に思えています。

そして、薬物依存症に罹患していることを今は自覚しています。この病気は自分の意志だけで克服できるものではなく、しかも完治することもない。ちょっとしたきっかけで再発再使用につながる。現に、モモも何度もスリップしています。でも、今はスリップしたことを家族に素直に話して、また一から始める気持ちになれています。

「あぁ〜またやってしまった、やっぱりモモはダメだぁ…」って思うんじゃなくて、

「やっちまったけど、一か月はやらないでいられたから、今度はもう少しがんばろぅ」

虫がいい話ですが、これは「リフレーミング」といって、物事や状況の見方を別の視点から捉え直すという考え方。それによってネガティブな気持ちを前向きにして前に進むことができる。リフレーミングは心理学の用語です。

 

何度も逮捕されて、長い懲役を経験したマーシー田代まさしさん)が、今でも薬物をやめられる自信はないとYouTubeで公言していました。モモもそうです。

「あんなの、やめれるわけないよ…」

そんな気持ちが今もあります。

ただ、今日はやらない、明日はわからない、

でも今日はやらない、その積み重ね…。

 

来月、薬物依存症専門の病院を受診します。

これも自分の意志で決めて行くことにしました。受診したらそのこともお話しできたらと思っていますぅ。

(つづく)

やめ続けるために…①

覚醒剤

やめられるわけないじゃん。あんなの…。

幸せを感じれる薬だよ…。

今?

今はやらないでいられてる。

奇跡だよね…。

 

やめ続けるのが苦しいかって?

そんなことないよ。

身体に禁断症状が出るわけでもないしね。

でも頭の中にはいつも薬のことが浮かんでくる

そんな時はここに書き込みするの…。

でも、それだけじゃないよ

他にもいろいろとやってることがあるんだ…。

💎

と、いうことで、モモもいろいろやってます。

刑務所服役中に考えていたことですが、

以前にもお話ししたように、薬物依存症のクライアントが覚醒剤取締法によって逮捕され、裁判経由で刑務所にぶち込まれるシステム。こんなバカげたシステムにつきあわされるのが嫌だからです。

💎

1日3食のご飯はちゃんと食べてる

人の身体を作ってるのは毎日の食事でしょ?

食べるっていってもちゃんとしたもの

豆、ごま、わかめ、野菜、魚貝、椎茸、芋

頭文字をつなげると、まごはやさしい〜!

日本人がずっと昔から食べてきたものらしいょ

もちろんお肉も食べる

薬やっていた頃は食べないから随分痩せた

頬がこけるんだよね…

ご飯はちゃんと食べよう!朝はお味噌汁!

 

お金の管理は重要だぁ〜

お金があれば薬は簡単に買えちゃう…

デリバリーピザやAmazonみたいにね。

「たくさんお金を持たないように!」

なんて言う人もいるよね?

まったくその通りだから全部キャッシュレス

家計簿もちゃ〜んとつけてる

日記みたいなのも最初はつけてたけどね…

これはやめちゃった

自分の中ですべて終わっちゃうものだから…

そのかわりブログとXを始めたんだぁ!

読んでくれる人が一人でもいるなら

繋がりの一つでしょ?

つながることは大事なことだと思うの…

人間だからね!

 

朝のコーヒーを飲んだらお掃除をする時間。

毎日じゃないよ、週に一、二回。

マインドフルネスなんかはしない

読書をする…

難しい本は何度も読む

テレビなんか見てられないよ〜。

💎

1日のスケジュールは決めてます。緩い縛りですが、出所後ずっと続けてます。

モモの場合、起きてる時は薬物のことを考えることがよくあります。長く断薬を続けている人が薬物のことを考えなくなると言うのを聞いたことがありますが、モモはまだまだ時間が必要なのか、その言葉が嘘なのかわかりません。

自宅で使用することが多かったし、出所して自宅に帰り、環境的にはあまり変わってないのもあると思います。

刑務所の薬物離脱プログラムに思考変換法というのがあったと思います。

脳というのは2つの事を同時には考えられないという特性があります。なので、薬物のことを考えてしまった時は何か別なことを考えるようにする…みたいなことでしたが、あまりに現実的でない対処法です。薬物に勝るものはそんなにありません。必ず薬物が勝ちます。

モモは逆に薬物のことが頭に浮かんだら考えるようにしています。考えることで俯瞰的に見ることができると感じたからです。

午前中の読書でも薬物や依存症関連、脳や人間のことが書かれた本をよく読んでいます。

少し難解な本もあり理解できるように繰り返し読むことも多いですが、脳が2つの事を同時にできないという特性でいうと、本を読んで薬物のことを考えることで、やりたいという思考を

変換できているのかもしれません。

それでも♂ですからムラムラする時もある。

そんな時は賢者タイムに導く行為をしますぅ。

💎

わりと一人でいることが多くて、すぐお話しできる人がいないと寂しいよね?

そんな時もブログを書きます。

誰かがそばにいてくれる時はお話しします。

聞いてくれる人がいるってのはいいよね!

理解してくれる人ならいい…。

味方がいてくれるのはありがたいことです

家族、お医者さん、友人、先輩、後輩、彼氏、彼女、おじいちゃん、婆様、近所のおばちゃん、依存症仲間、仕事仲間…。

誰でもいいから、一人でも味方になってくれる人がいたらいいと思うよ。

きっとその人にも味方がいるから。

つながっていく…。

💎

スケジュール管理、お金の管理、毎日の食事。一人じゃなくて誰かとつながることで依存症と向き合っていく。

他にもまだありますが、モモの場合はこんなことを意識してやっています。

自分の意志で決めたことです。

ダルクなどに比べるとかなり緩いけどね。

(つづく〉

 

 

 

 

 

幻覚、幻聴、フラッシュバック②

幻聴は…幻覚は…。

幻聴かもと思われるものは何度か体験してます。薬物が身体に入っている時に起きた現象ですが、ドアの外でおばさんたちの話し声が聞こえたような聞こえないような…。

いつも自宅で起きる現象ですが、モモにはこれが幻聴なのか、外の風などの音なのかよくわかりませんでした。

知り合いで幻聴が聞こえる人がいて、その人が言うには「モモさんが何か話してるのが聞こえたとか」「こう言っていた」とか、はっきり聞こえるそうです。一時つきあっていた女性もそうでしたが、一晩中起きて薬物を追加しながら使用している時に幻聴が聞こえてたと言っていました。ニュースなどで不可解な事件があると、逮捕された犯人が「声が聞こえてきて命令された」とかあるでしょ?その犯人が薬物を使用してたかどうかはわからないことが多いですが、やっていたのかな…。

すご〜く古い話しですが、最近本を読んだので取り上げます。

昭和の大事件「深川通り魔殺人事件」。

1981年東京の深川で4人を殺傷した通り魔事件です。今の若い人は知らないと思いますが、当時はドラマにもなるほど社会に衝撃をあたえた事件らしいです。犯人は川俣軍司。

本の表紙にあるイメージ写真やネットで見れる逮捕時の写真を見ると年配の中年男性に見えましたが実際は29歳の男性。

川俣軍司は薬物依存症者でした。覚醒剤です。

取り調べでは、自分を苦しめる黒幕が自分の頭に電波をとばしたり、テープに録音した声をずっと流していたようなことを言っていたようです。幻聴が聞こえていたんだと思います。

裁判では精神疾患の有無などが争われ、判決は無期懲役。どこの刑務所がわかりませんが今も服役中とのこと。4人も殺傷して何故死刑じゃないの?と、疑問を持った方は佐木隆三さんの本「深川通り魔殺人事件」を読んでください。

時代が古いですが、覚醒剤の尿検査のことも詳しく書かれていました。

裁判で川俣軍司は犯行当時、覚醒剤は使用していないと最後まで答弁していたとあります。

逮捕時、尿検査で陽性反応が出たようですが、刑が確定した後もそれを貫き通したそうです。

本の最後の方に、覚醒剤をしてないのは本当で、社会に対しての違法薬物抑止効果のために、覚醒剤を使用したことで事件を起こしたことにしたのかもしれない…ともありました。

 

幻覚は一度だけあります。

幻覚が見えていた人はモモのまわりにはいませんでしたが、薬物を使用して何日も寝てないと見えるらしいと言ってる人がいました。

薬物を使用した翌々日。

睡眠も少しとれたので、残り少なくなったネタを朝から使用しました。懲役を経験後は薬物を摂取して外出することはほとんどなかったので、その日も自宅でお遊びしました。

一度追加したけど、量は微々たるもの。

夕方、何かドアの外が気になりドアスコープを覗く…。よく一緒に使用していた人がやっていた行動なので、もしかしたら依存症者特有の行動かもしれません…。

音を立てずにドアに近づきドアスコープを覗くと、外に誰かがいるように見えました。しかも小声で何か話してる。

「え!警察?」

静かに後退りしてベランダ側の磨りガラスを見る。サッシを開けて外を見たけどいつもの風景。恐る恐る再びドアスコープを覗くと太り気味な女性がいるように思えました。

まだ外は少し明るさもありましたが、テレビを消して部屋の中でじっとしてました。

モモは3回の逮捕がすべてガサ入れおはよう逮捕だったのですが、1度目と2度目はドアを開けたら刑事たちが入って来たので、ドアの外に警察がいると勘ぐり始めてました。

そのうち外は暗くなり、玄関の小さな明かりだけで部屋には電気をつけず、暗い部屋の中でいろいろ考え始めます。

「ベランダ側は誰もいないから今ならベランダから逃げることができるかも…」

そしたらベランダ側からも声が少し聞こえてきたような気が…。不安になり窓を凝視すると、部屋の小窓に何やらパインダーのような物が置かれた影が見えて、人間の指が窓を触るのが見えました。

「ヤバい、どうしよう…包囲されてるかも」

たしかに見えていました。

小窓は段ボールの様な物でちょうど半分くらいを目張りされて、ベランダ側のサッシにも何か立てられかけて人のヒソヒソ声がする。

自分でも、何してるんだろ…っと自問自答しながら部屋の中を抜き足刺し足で歩いていました。いろいろ考えて思いつき、近所に住んでいて普段から仲良くしてもらっているおばさんに電話した。

「すいません、変なお願いなんですが、ドアの前に誰かいるようなんですが、確認してもらっていいですか?」と、丁寧にお願いしました。

おばさん、快く頼まれてくれて確認してくれたら誰もいないとのこと。ベランダ側にも誰もいない。そこでまた勘ぐり始めます。

「おばさんは、きっと警察に口止めされてるに違いない…あぁ〜また逮捕されるんだ〜」

もう逃げ場はない。そこでモモがとった行動は…残りのネタを全部食べることでした。

量もあまりなかったので何も変化なく、しばらくじっとしていたら家族からの帰宅メール。

メールや電話のやりとりもしていたので、心配しながら帰って来ました。

ドアの鍵が開く音がして家族が帰宅。

「誰もいないよ?」

そうです、すべて幻聴と幻覚と勘ぐりでした。

 

幻覚のイメージはテレビや映画の再現ではモヤモヤした感じでしょ?モモが初めて見た幻覚ははっきりしていてリアルでした。

すべて脳が起こしている現象ですよね。

後で考えてみると、それでも冷静な行動をしていたと思います。外に逃げたりしなくてよかった…外に出てたら挙動不審者で本当に捕まっていたかもしれないです。

その時は過度な薬物使用でもなかったし、多少は寝不足だったかもしれないですが、幻覚が見えたのはショックでした。

知り合いに話すと「それ、ヤバいですよ」って

言われました。自分も言うセリフだと思いますが、それ以後、使用していても幻覚を見ることはありませんでした。

 

先日、大学生が飛び降り自殺をした報道がされていました。そして体内から大麻成分が検出されたと言われています。

テレビ報道なので真偽は不明。

ネットでは大麻も幻覚や幻聴があると書かれています。

それが本当なら、その大学生はどんな幻覚幻聴を体験して飛び降りたのか?

幻覚、幻聴、フラッシュバック①

幻覚、幻聴、フラッシュバック!

幻聴、幻覚、フラッシュバック!

メロディをつけてシャウトしたら、

韻を踏んだノリのよいラップが歌えそう…。

 

モモの薬物使用歴は10年以上になりますが、

フラッシュバックらしきものは二回ほど経験しました。その時の症状がフラッシュバックだったのか、何か他のものなのか今でもわかりません。フラッシュバックをネットで調べてみると、基本的には幻覚剤の使用によって体験したものが、薬物を使用しなくとも突然現れる症状のことらしいです。正式には「幻覚剤持続性知覚障害」というらしい…。

日本では覚醒剤による精神病の再発をフラッシュバックと言ったりするようですが、世界的な

知見ではフラッシュバックという名称は当てはまらないようです。日本は適当だよねぇ〜。

 

モモが経験したものをフラッシュバックだと思った理由は、薬物を使用してないのに使用した時のような症状があったからです。

でも、気持ちいいとか多幸感を感じたわけじゃない。ちなみに幻覚剤のフラッシュバックは「気持ちいい」も感じるそうです。

ネットにある覚醒剤のフラッシュバックは、長い期間断薬していても、ストレスやアルコールを大量に飲むことで起きることがあるとあります。モモの時もたしかにストレスはあったと思います。非常に蒸し暑い場所に長時間居続けたのが原因だと思います…。もしかしたらただの脱水症状かもしれないけどね…。

その時は完全シラフで、特に体調が悪いわけでもなかったです。蒸し蒸しするなぁ〜と思っていたけど我慢してた。

そしたら急に全身がソワソワしてきておちつかない…。なんだか気持ち悪くなってきた…。

そのうち全身からじと〜っと汗が出てくる。

冷や汗っていうやつです。

「ちょっとおかしい…」

自宅が近くだったので、未練タラタラその場を離れてすぐ帰宅しました。エアコンが効いた部屋でしばらく休んだら治りましたが、ソワソワした感じや全身が痺れる感じなど薬物使用時のアタリに近いものがあったので、これがフラッシュバックかな…と思いました。

未練タラタラ?

エアコンがあまり効いてないパチンコ屋でジャグラーを打っていたのでした(^_^;)。

あとの一回は新幹線に乗車していた時でしたが、やっぱり蒸し暑さと狭苦しさを感じていて同じような症状が出ました。その時は新幹線のデッキに倒れ込みしばらく横になりました。その時は女の車掌さんだったのですが、優しい人で心配して何度も声をかけてくれて医務室に行くように言ってくれたのですが、動けなかった…。デッキに寝ているのも許してくれたので、「すいません」「すいません」と言いながらしばらく冷たい床に身体を押しつけるように横になっていたら治りました。

どちらも蒸し暑さや狭苦しさなどがあって、身体を冷やすことで回復したから、ただの脱水症状だったかもしれませんが…。

モモはアルコールを飲みます。そんなに量は飲まないし、ちょっと飲み過ぎたかな…と思っても先に書いたような症状は出たことはありません。やっぱりフラッシュバックじゃないのかな?ネットにはやめて10年経っても突然フラッシュバックの症状が出ることがあるとあります。この先出ないでほしいですね。

(つづく)

 

薬物離脱プログラム?

薬物事犯で服役中の受刑者は、薬物依存離脱教育を受けることになります。

モモは2度の懲役で、2度プログラムを受けました。昔は刑務所それぞれ指導教育の方法が違ったそうですが、今は全国的に統一されているようです。モモの記憶でも、ほぼ同じ内容のものを2度受けたと思います。

ちなみに性犯罪や被害者がいる犯罪の受刑者も、それぞれ指導教育プログラムがありますが、どんな内容か知らないので省きます。

 

「リラプス」とは、薬物を使用していた頃の行動、生活パターンに戻ってしまうこと。

そのリラプスがタイトルだったか目次にあったか覚えてないですが、小冊子を渡されてビデオを見せられました。

薬物によって生活が乱れていくAさんやBさん…とか、マウスに薬物を注射して、ほら、おかしくなりました…みたいなビデオです。仮釈放まで10回以上はあったと思いますが、指導内容の詳細はあまり覚えていません。

覚えているのはゴムパッチンと伸びをすること。薬物のことが頭に浮かんだら手首につけた輪ゴムを引っ張り離してパチンとさせる。

両手を組んで上に伸ばして思いっきり伸びをする…。あまりにも現実味のない対処法を指導されたので覚えているのだと思います。

伸びもそうですが、実際服役中の受刑者が工場での作業中にやれば懲罰の対象になるかもしれないような行為です。無許可で輪ゴムを持っていたら確実に調査になると思います。

調査とは、受刑者に違反と思われる行為があった場合に行われるもので、施設の担当刑務官による簡易的な調べと裁判のようなものがあり、懲罰を受けるかお咎めなしかを決めるものです。モモも出役拒否などで懲罰は2度経験しています。五日間何もせずただひたすら朝から晩まで安座して座ってるだけですが、本も読めないので結構辛かったです。

 

話しを戻してプログラムですが、一つ伝えておきたいことがあります。警察や拘置所、刑務所もそうですが刑事施設での薬物依存プログラムの考え方は矯正です。刑務所は矯正施設ですからあたりまえのことですが、刑務所の薬物依存プログラムには治療という考え方はないです。それを最初に感じたのは東京拘置所内の小さな受刑者用の個室に貼られたチラシでした。

「薬物依存にお困りの方へ」

刑事施設ではどこもそうだったと思いますが、薬物依存症の「症」の文字が削除されています。最初から省かれています。

刑務所でのプログラムも薬物離脱プログラムです。依存という言葉はあっても依存症という言葉はどこにもありませんでした。何故なら薬物依存は矯正対象、悪習であるという考えだからだと思います。症の字をつけて依存症にしてしまうと病気になってしまい、受刑者は病人。病人を刑務所に閉じ込めて懲役を科すことになるからです。シャバでは薬物依存症は病気という考えかたで治療につなげることで回復を目指します。まったくスタンスが違います。

 

でも、刑務所で行われる薬物教育にまったくメリットがなかったかというと、そんなことはありません。外からゲストとしてダルクの人たちが来るのですが、その人たちが語るお話しは現実的で、聞いていてとても有意義なものでした。ダルクの所長さんが来られた時に言われたのですが、「薬物をやめようなんて思わないほうがいい、私もやめようとは思ってないし、やめると公言していません。ただ、今日はやらない…明日はわからない、でも今日はやらない。それを積み重ねて10年以上が経ちました」と、言われました。

その時に初めて聞いたかな…「やめようなんて思わない」「そんな決心はしない」

まだ薬物依存症という言葉さえ知らなかったモモなので、思いがけないその言葉が頭に残りました。

モモもそう思います。

こんなのやめられるわけない…。

でも、その頃のモモは薬物は「やめるつもり」

だとまわりには言っていました。

服役中、工場での作業中に歯科治療に呼ばれ、抜歯治療後戻ってくると班長に言われました。

「…お前、歯が抜けるほどやりまくってたんだから、やめれないだろ…」

笑うしかなかったです…。

 

2度目の懲役時のプログラムでは、グループミーティングの他に臨床心理士との個別面談がありました。若い男性でしたが、その人はたわいない話しもモモの性癖の部分も偏見なく聞いてくれ、自身の酒好きを薬物に置き換えたりしてモモの言いっぱなしを理解してくれようとしていたと思います。モモも2度目の懲役の時には薬物依存症のことを少し勉強していたからね。その人との会話のやりとりの中で少しずつ頭の中でいろんなことが整理されていった気がします。自分で自分のことを話しながら、自分の方向性を決めていたのだと思います。グループミーティングでは出来ないことです。

 

薬物治療には、その人にあうものとあわないものがあると思います。モモにはこの臨床心理士との面談はよかったと思う。

認知行動療法というのも、この臨床心理士に教えてもらったことです。

書くこと、話すことで自分の気持ちを吐き出してそれに向き合う。そこで少し冷静になれる気がします。やめ続けたいと思ってる人、スリップしたけどまた一からやめ続けたいと思ってる人には認知行動療法もおすすめします。

 

モモの服役中、刑務所では現実味のない薬物離脱の方法を教えていました。そもそも出所したら「やる!」という人がほとんどでしたし、これに懲りてやめたいと思っている人にも特に役立つものではなかったと思います。

 

英語を身につけるため勉強しますが、日本で勉強するよりアメリカに行って勉強したほうが身につきますよね!刑務所の薬物離脱プログラムはそれに似ています。学んだとしても服役中は実際に試せないのでその場限りです。

懲役が邪魔しているんだと思います。

最初から治療に携わることができれば回復できる人は増えると思います。

 

これを書いていて思い出したことがあります。

刑務所のプログラムにもありました。

「賢くやめる」

抽象的な言葉じゃない?