
200回目投稿まであと4ちゃ、カウンドダウン投稿!!
~196投稿目~
💡ピカ・ドン💣
この爆弾が「原子爆弾」であるということは、
一般市民には八月十五日の終戦を迎えるまで知らされないでいたが、
市民たちは自己の体験から「ピカ・ドン」と呼んだ。
ピカッと光ってドンと爆発音がきこえたからであるが、
何時誰れが言いだしたともなく、たちまち流布されて、
ついに世界語となった。
(広島原爆戦災誌より)
先に投稿したブログ「原爆の噂?!」では、林千勝さんの動画でのお話をもとに、モモなりの考察を記事にしてみました。
そして今回は😯
2026年7月4日のアメリカ独立記念日にあわせて刊行された林千勝さんの著書『広島・長崎の悲劇の正体~消された証言と封印された調査記録』を読み、偽装原爆についてさらに掘り下げられた内容と、疑惑の根拠として示された証言や写真などに目を通したうえで、その感想と原爆の真偽について記事にしてみました。
🐢
玉ねぎを切るのも🧅、本を読むのも📕、なんとも遅いモモなのですが......今回は林さんの本を読みながら、自分でも確認できる一次史料にも目を通し、さらにAIも活用しつつ、その真偽を確かめようと試みました。
今読んでいた本はとりあえず後回しにして、いつものように依存症外来の待ち時間と、バンドのリハーサルに通う電車内、そしてお家で時間があれば読んでいたので、今回は一気に集中して読み終わることができました。
本の中で引用されている過去の情報や被爆者の証言は、一部を除いて一次史料としてネットで確認できるものでした。AIを活用したのは、モモの知見を補うためで、あくまで参考程度に活用しました。

📕
実は、林さんの本を読み始めて、モモは最初の章からつまずきました😓
最初は、よく耳にしたマンハッタン計画のお話から始まるのですが、そこに書かれた内容を確認するためにAIを使用しまったことが、戸惑いの原因でした。
1945年5月31日に米国で開かれた原子爆弾に関する暫定委員会での議事録には、広島・長崎に原爆が投下されたとする8月の時点で、まだ原爆は完成していなかったような記述がありました。その暫定委員会の議事録は、ネット上で日本語訳で見ることができます。
そこには、原子爆弾の開発過程を、第一段階、第二段階、第三段階と分けながら、委員会に参加した科学者たちがその進捗を説明しています。

それによると......
暫定委員会が行われた1945年5月31日の時点では、工程が第一段階まで進んでいて、実際に爆弾を作れるのは第二段階からであり、まだその実効性が証明されていない。推測では1946年1月から1年か1年半の間に、第二段階が証明されるものと考えられる。(A・H・コンプトン博士)
原爆は、まだ作れてなかったということじゃないかい🤔
ここで、モモはAIを使ってしまいました......。
AIがいうには、第一段階が原爆そのものであり、第二段階からは、それ以降に作られるはずの、より強力な爆弾などを示すといってきました。
とはいえ、実際の爆弾は第二段階からとある以上、第一段階は完成までの途中過程のはず...。そこをしつこくAIに突っ込んでみると、今度は英語から日本語訳にしたときのニュアンスの違いを指摘しはじめて、結果を譲らず、挙句に答えられないという画面に🤪🤪🤪
モモの聞き方が悪かったのか、それとも何らかの意図が仕込まれているのか...🤔
普段のブログでは、句読点の位置を教えてもらうくらいで、基本的にAIは使用しないモモなのですが......AIにも答えられないことがあるみたいじゃね😛
そこからはAIを使うのやめて、林さんの本と、一次史料相当である「広島原爆戦災誌」とを交互ににらめっこしながら、なんとか読み切りました。
そして!!

偽装原爆についての結論から言ってしまうと...
1945年8月6日と9日に、広島と長崎で使用された「ピカドン」は、
一発の原子爆弾によって、一つの街が一瞬に破壊されたものではなく......
「ピカピカピカ、ドンドンドンドン...」と、大規模複合爆弾によるものだというのが、本当のような気がしています。
広島と長崎への原爆投下は、偽装原爆の可能性があると考えています。
まどろっこしい言い方ですが、目の前で見たわけじゃないし、その当時生まれてもいないモモなので断定はできません。
とはいえ、原爆投下については、やっぱり心の中に強い違和感を感じています。

偽装された原爆投下 ミヒャエル・パルマー
最初に林さんのお話を聞いた時、さすがにそれはないと思いモモは苦笑しました。それ以後、再び動画でお話を聞くまで、このことを考えたこともありませんでした。
子どもの頃から原爆の悲惨さを教えられ、常日頃から原爆ドームを目にし、親戚にも原爆で亡くなった人がいるモモにとっては、正直、意外すぎる結論です😳
なにをいいだすんねぇ〜?!......と思われそうですが、自分で調べれば調べるほど、その不都合な真実が見えてきてしまい、そう思わざるを得ませんでした。
今回、このことを通して、たぶん一生見ることがなかったであろう原爆に関する一次史料に触れたことで、今までマスメディアで見てきたものや見せられてきたものが、いかに選別され、コントロールされたものかを知ることにもなりました。
そして、この結論に辿り着いたのは、林さんの本に数多く引用されていた、広島平和記念資料館に所蔵されている「広島原爆戦災誌」に残された科学者や医師の証言、そして何より、被爆者の証言によるところが大きいです。
あの日、エノラ・ゲイ(B29)が飛んできて、一発の原子爆弾によって、一つの街が一瞬に破壊された......
モモは、これまでその筋書きに沿った教育を受け、証言を聞かされ、映画や漫画の物語を見せられることで、それを疑うこともなく信じていました。けれど、実際に「広島原爆戦災誌」を読んでみると、一発の原子爆弾によって、一つの街が一瞬にして破壊されたとは思えないような証言が、たくさん出てきます。
たとえば、B29爆撃機の数については、四機以上という証言や、広島上空の至る所で、二機、三機と目撃されていたという証言があります。しかも、原爆投下後にも多数飛来し、機銃掃射の危険もあったようです。
これは、原爆を扱った映画や、「はだしのゲン」には描かれてないことです。
最近、長崎の原爆投下直後に機銃掃射があったことがYahooニュースにも出ていましたが、パイロットは放射能が怖くなかったのか......。そもそもなかったんじゃないかい😳?!
どれだけの爆撃機がいたのか不明ですが、エノラ・ゲイが飛来して、たった一発の爆弾を落として去っていったというストーリーは、間違いなくフェイクだと思いました。
💡
ピカの光も一瞬の閃光ではなく、マグネシウムのような光が落ちてくるという目撃証言もあり、その色さえ目撃する人によって色の違いがありました。
そして、硫黄の臭いがしたという証言......☠️
その証言は、毒ガス説(硫黄マスタードガス弾)の根拠にもなりうるもので、実際に調査研究にあたった、原爆症研究の父といわれる医学博士の都築正男氏による放射性毒ガスの主張が、GHQに検閲で削除されたことが「広島原爆戦災誌」にも示されていました。
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そして、モモが原爆の拠り所の一つにしていたキノコ雲についても、証言によれば、三つもあったようなことが、目撃した人の話を聞きつつ描かれた絵によって示されていました。当時の日本人や米軍が撮影した写真にも、およそキノコ雲には見えないものもあり、モモは映画や漫画などで典型的なキノコ雲を見せられ続けたことで、その原爆のイメージが強く植え付けられたようにも感じています。
「広島原爆戦災誌」には、ほかにも原爆とは思えないような証言が多数ありました。もちろん、モモが今まで知っていたピカドンを連想させる証言もあります。
ネット上で誰でも閲覧可能なものなので見てみんちゃい☺️
総評
林さんの著書に書かれていたことは、これまでになかった新証言や別の視点からの見方ではなく、「広島原爆戦災誌」に綴られた生き残った人たちの証言や、広島平和記念館などに残された写真や物品を検証することによって、辻褄が合わないと思われる点や矛盾が指摘されています。
そして、それが偽装原爆の根拠になっていると思えました。
特に、偏った見方をするのではなく、誰が見ても当たり前におかしいと思われる事象をおかしいと指摘されていました。
モモはそこを見れず、それを知らなかっただけ。
知ろうともしなかったからこそ、盲信していたんだと思いました。

長文を読んでくれてありがとね...らっきょより
🍑
林さんの動画や本が話題になったことで、SNS界隈では「ふざけるな」という批判的な動画や、Xのポストを目にするようになりました。
どれも、当時まだ生まれてもいなかった人たちが、まるで目の前で見たかのような語り口で批判するのを見て、81年にもわたる原爆教育(プロパガンダ)と原爆観の強さを感じました。
モモはそんな動画も一応見てみるのですが、暫定委員会での発言が日本人の科学者によるものだと語られているなど、そもそもの事実認識が誤っていたり、十分な下調べがされていない感情論的なものが多いように感じました。
事の詳細を調べることをせず、マスメディアで見聞きした情報だけで判断し、それ以外のことは陰謀論と決めつけて批判してしまう。
モモも、以前はマスメディアのいうことをずっと鵜呑みにしていた人間の一人なんだけど、これって例のお注射やマスクの時にもあったことだよね😳
林さんは本の中で、「原爆」と「お注射」は同じもの、同根と書いています。
モモもその通りだと思います。
しかし、断定は分断を生みだすもの。それは、お注射の時に経験済みです。
大切なのは、疑問があれば知ろうとすること。
なぜ、今、こんなにも多くの日本人が亡くなっているのか...。
なぜ、戦後、病気が増え続けているのか...。
あの日、広島と長崎で、本当は何があったのか...。
これは、日本人として知らないといけないことだと、モモは思います。
お読みくださりありがとうございました。🙇 モモ
林千勝さんの「広島・長崎 悲劇の正体」はこちら
広島原爆戦災誌のリンク
米国暫定委員会 記事録のリンク