薬物依存症からの回復を目指す

モモちゃの言いっぱなし!

広島遠征ライブ番外編・墓参りと宮島③?!

~ 弥山登頂 ~

🔥第三日目の前半🔥

弥山山頂の巨石群

広島遠征の最終日。

東京へ帰る新幹線🚅の時間を午後2時に決めて、チケットは前日に購入していました。

今年五月に火災があった弥山霊火堂の情報を宿泊先の旅館で聞いたところ、建物は燃えてなくなってしまったけど、弥山には普段どおり登れるとのことで安心。

それがいちばんの目的じゃけんね😌

 

ありし日の霊火堂と焼失後の跡地

消えない火が永遠の愛の象徴にされ、「恋人の聖地」ともいわれている霊火堂ですが、モモはこういう観光キャンペーンには違和感があります。

仏教の聖地ならまだしも、恋愛と結びつけるのはいかがなものかと思うんだよね😅

しかも調べてみると😳

この観光キャンペーンは少子化対策のプロジェクトにもなっていました。

根本的な問題を理解できていない大人たちが、神様仏様助けてくださいと神頼みのような政策に税金を使っている。モモにはそれが、愚策を誤魔化すためのプロパガンダのように思えてしまいます。

 

宮島・要害山から見た宿泊旅館と、誰もいな〜い宮島桟橋

宮島滞在時間にも制約があったので、弥山登頂は早ければ早いほどよいのですが、ロープウェイの始発が朝9時からということで、それに合わせてチェックアウトすることにしました。とはいえ、モモは早朝から起き出して、朝の宮島を散策します🐾

まずは肩慣らしに、旅館近くにある標高約27メートルの要害山に登りました。

要害山から見える鳥居

山というより丘という感じでしたが、石段を登り切ると、旅館群の先に小さく鳥居が見えていました。大きな鹿や小さな鹿、野良猫も居て、前日の喧騒がなかったかのように、宮島の朝はなんとも静かでした。

朝食前でお腹が空いていたのですが、時間までまだしばらくあったので、鳥居の近くまで行ってみることにします。

 

街路沿いに休む鹿の......親子かい?!

石鳥居・前を歩くはどこの国の人か😳?!

行く道は、参道商店街側ではなく、海沿いの参道口を歩いて鳥居を目指します。

前日にもやったことですが、潮が引いて途中から見えている砂浜に降り、裸足になって砂の上を歩きました🦶

前日は人目も気にせずサロペットの裾を捲り上げて海にまで浸かり、そのまま参道を途中まで歩きました。あとで砂だらけの足をパンパンしなくてはいけなくなったのですが、なんともいえない解放感を感じ、しばらく足がジンジンと心地よかったです😊

土に触れなくなった人間は、そのことによって身体にリスクがあるともいわれているらしいですが、素足で砂浜を歩くことにも、身体によいことがあるような気がします、

ただ、この朝は人目はなくとも、砂の上を歩くだけにしました。

朝の6時すぎ。

来訪者を運ぶフェリーの本数もまだ少なく、参道も鳥居のあたりも、とても観光地とは思えないほどの静けさでした。しばらく海面を見つめていると、フェリーが通り過ぎたのか、小さな波が寄せてきて、さざ波の音とともに、海面に映った鳥居が揺れていました。

宮島の静かな朝と、大賑わいの日中、そして幻想的な夜......。

今回の旅は、いつも以上に宮島を堪能できた気がします☺️

 

水鏡に映る鳥居が波に揺れちょる

旅館に戻ると、家族とT子は旅の恒例の朝風呂を済ませて身支度中でした。

朝食をすませ、ロープウェイの時間に合わせて旅館をチェックアウト。手荷物が多少あったのですが、旅館の方で帰りの乗船時間まで預かって桟橋に届けてくださるとのこと🙏

観光地ならではなのかもしれませんが、前回のホテルではそんなサービスはなかったので、これは宿泊した旅館ならではの気遣いだと思いました。

ありがたいことです☺️

ロープウェイから見える瀬戸内海

ロープウェイの駅に到着してみると、前日同様、ほとんどが欧米からの旅行者でした。

男性の友人同士や家族連れが多く、男性たちはロープウェイ駅内にある機械や掲示板、ポスターなど、いろんなものに興味を示して子どものように会話が弾んでいましたが、親子連れはどこか静かでした。

そして、誰もがきちんと列に並んでる。

宮島滞在中、とくに弥山では多くのインバウンドを見かけ、ときに言葉を交わすこともありましたが、その立ち振る舞いには、単に「郷に入っては郷に従え」だけではなく、世界遺産である宮島の景観と、人との触れ合いを大切に思う心があるように思えました。

 

ゆっくり、休み休み行こう🐾  

弥山は標高535メートル。途中まで小型と大型のロープウェイを乗り継ぎ、ロープウェイの終点からは徒歩です🐾

ほかに、徒歩だけで登る登山道もあるようですが、その場合はある程度🧑‍🦯の装備も必要だし、季節によってはマムシ🐍やスズメバチ🐝に出くわすこともあるとのこと。

どちらもモモには大嫌いな😠天敵でもあるので、最初から登山道の選択はなしでした。

弥山中腹から見える広島市

「私、山登りが好きなんですぅ〜!!」

T子は宮島に行く前からそう豪語していましたが、ロープウェイの駅までの10分ほどの坂道でさえ、息があがっていました😅......モモと家族は三度目の行程でしたが、T子の体調に少し不安を感じたので、できるだけゆっくり、無理をしないを心がけ、いつもは一気に山頂まで行くところを、二度三度、四度と休みながら進みました。

三人とも無事に山頂に到達し、瀬戸内海の絶景を堪能🥹

「来てよかったです!!」

「今度は妹さんを連れてきたらいいよ......」

瀬戸内海は、やっぱり綺麗でした。時期をもう少しずらせば、紅く色づいた山の紅葉も見ることができるのですが、今回は、夏の陽射しに輝く海と、そこに浮かぶ島なみの景色が、世界遺産にふさわしいと思えるほどの絶景でした。

愛猫ラッキーも気がかりでした🐱

🍑

弥山の下山にもドラマがありました。行きの登りは、ロープウェイの始発で来たこともあり、下山してくる人も一人か二人でしたが、モモたちが下山するとなると、逆に登ってくる人が絶えません。姉御肌なモモの家族は、山頂に到達したことで気分が高揚していたのか、すれ違う登りの人たちに声をかけ始めました。

「こんにちは!!」

「頑張って〜!!」

「もう少しだよ〜😃」

ほとんどが海外の方でしたが、老若男女、みな笑顔で「こんにちは」と返してくれました。やがてロープウェイの山側の駅が見えてきて、モモもT子も、もう声かけしなくていいよと言ったのですが、結局最後まで声をかけながら駅に到着。

たぶん三十人はくだらなかったと思います💪

人種も性別も違う、見知らぬ者同士、山を登るか降るかだけの違いですが、挨拶を交わすことで、どこか心がつながったような気持ちになれました......☺️

(最終章に続く......)

 

 

 

お読みくださりありがとうございました。🙇   モモ

広島遠征ライブ番外編・お墓参りと宮島②?!

~ 宮島へ ~

⛩️第二日目の後半⛩️

コインロッカーに空きがない?!

修道院からの帰りの道には迷ったものの、無事にお墓参りを済ませてホテルに帰り着いたのは、ほぼ予定通りの時間。まだ朝早いのもあって、JRの電車は混んでいたけど、横川駅からのタクシーは道路が空いていて、あっという間でした。東京ならこうはいかない😅

ちなみに、予定通りの時間とは、朝食を食べることにしていた広島繁華街にある食堂のオープン時間に合わせたものですぅ😙

旅館「山水園」で食べた大内御膳の献立(山口湯田温泉)

大内御膳のコースの最初の品

旅に出てしまえば外食をすることになるし、ホテルの朝食や旅館の夕食では、和食といえども四毒(小麦粉、植物油、乳製品、甘いもの)といわれる食材を多少は食べることになります。

山口県の湯田温泉♨️に行った時は、「大内御膳」という今から約五百年前に殿様が食べたという、ほぼ四毒が使われてないお料理をあますことなく平らげましたが、今回は和食とはいえども近世和食。

食の基本がそもそも違う。

それを見越して、なるべく四毒が使われていない食事ができそうなところを探しておきました。出立の朝の新幹線ではおにぎり持参で、昼食は探し見つけた大衆食堂で済ませる。

お店の詳細は最終章で取り上げるとして🍚、ライブ前に、なるべく体調に影響しないような食事をとるようにしていました。

予感はしていたものの、出会ってしまったバンドメンバーたち

ホテルをチェックアウトして、モモは家族とT子との三人で、一度タクシーで広島駅に戻ります。この日のうちに弥山に行く予定でもあったので、市内からチンチン電車で行くより、JRのほうが早く着けるからです。

朝から陽射しもわりと強めで、たぶん暑くなるであろうと行程を急ぎました。

広島駅に着くと、人、人、人のごった返し......。さすがシルバーウィーク真っ只中!!

とりあえず、コロコロ機材(キャリー)をロッカーに預けようとコインロッカーに行ってみたら、どこも空いてない😦

駅構内をあっち行きこっち行きするも、どこもコロコロを引きずったロッカー難民だらけ😓......どうしよう。

さすがに、宮島でコロコロするわけにもいかん😳。あれこれ考えていると......、

「送っちゃえばいいんじゃない?!」

モモは家族のその助言を聞くや否や、言い放ちました。

「そんな送れるわけないでしょ。これは、ゴルフバックとは違うんじゃい😆」

すると、T子がすかさず

「おっ、名言が出た🤭」

......と、ツッコミを入れる。

モモは、楽器のためにわざわざチケットを買って、楽器の席を確保する人もいるという話をしつつ、いつもの三人の会話に、この旅は楽しい旅になりそうな予感を感じていました。

JRのフェリーは鳥居の近くを通過するそうです。

駅の案内所に駆け込み、女性の係員さんにロッカーの空きがない状況を話してみたら、なんと、人にはあまり知られていないロッカーの穴場があると案内されました。親切にもロッカーへの地図まで書いてくれて、そこがダメならここ、という提案もしてくれました。

行ってみるとガラガラに空いちょる🤪

駅構内が全滅なら、駅ビルや駅デパート地下のロッカーは穴場らしく、わりと空いてるようです。

広島では、ライブに来てくれたお客さんもそうでしたが、タクシーの運ちゃん、駅案内所の係員さん、ホテルや食堂のスタッフさんなど、東京ではあまり感じられない優しさを、幾度も感じました......。観光地ならではというより、広島の人たちの気質のような気がしています。

案内所の女性にお礼を伝えてJR山陽本線🚃に乗り込み、約30分で宮島口到着します。

 

おぉ、薬物?!   この注意書きは?!......クリーンでよかったっぺ😛

宮島口についてみると、広島駅での人の多さを凌ぐほどの人の多さでした😟

......しかも、人種のるつぼ😟

🚖「今は、外国人しかいないよ........」

広島で乗ったタクシーの運ちゃんとの会話の中で聞いてはいましたが、海外からの旅行者がなんと多いことかΣ(゚д゚lll)。

外国人しかいないというのは言い過ぎですが、大半はインバウンドの人たちで、タクシーの運ちゃんも言っていた通り、アジア系の人はいても少なく、ほとんどが欧米の人たちでした。乗船したフェリーの中も外もほぼ満杯で、モモたちは観覧席に座れたものの、手すりを埋め尽くす人の壁で、海も鳥居も見ることができませんでした😳

宮島には子供時分から20回は超えるほど訪れていますが、今回の人の多さは初めてのこと。お正月の参拝期と同程度だったような気がします......。

しかも、神社までの参道は多国籍な雰囲気で、まるでニューヨーク🗽の街中を歩いてるような気にもなりました😅

なにやら気になったけど......、お店はやってませんでした😳

ロッカー探しで手間取ったこともあり、宮島表参道を歩き始めた頃はもうお昼。お腹も空いていたのですが、まずは神社の参拝を先に済ませることにして先に進みます🐾

この日のお昼は地産地消ではないですが、四毒抜きを一旦やめて、「お好み焼き」を食べることに決めていました☺️

食べるなら、しっかり食べちゃれ!!

肉玉そばにイカ天をトッピングして注文。皿や鉄板に置かれたお好み焼きの表面をソースとマヨネーズ(油)で埋め尽くし、ヘラでなくお箸で食べる。これが、モモの大道です😛

店内に撮影禁止の張り紙があったので、既出の画像です

今の宮島は、もみじ饅頭のほか、あなごや焼き牡蠣のお店だらけで全国的にも有名らしいですが、モモの子どもの頃は、宮島というより広島は一にも二にもお好み焼きで、穴子や牡蠣などの海産物が有名なのは知りませんでした。これは、今回の旅の広島出身のバンドメンバーWさんも同意見。だからなのか、穴子や焼き牡蠣が売られているのを見ても、今でもなんだかピンとこないんだょね😳

滞在中は、宮島と広島駅で、持ち帰りを含めて三食食べることになりますが、病気でないからこその旅食......。どこのお店でも、大変美味しくいただきました😋

 

お泊まりした旅館と夜の鳥居

参拝を済ませ、お好み焼きを食べるために表参道商店街に戻っていると、この旅で何度目かの慶事多端(けいじたたん)な出来事が起こりました。

宮島でバンドメンバーとばったり出くわしてしまったのです🤯

前夜のライブ後の打ち上げを終えてからは、メンバーそれぞれが別行動で、実家に帰る人や観光に行く人がいたのですが、宮島に行くようなことを言っていたメンバーたちとの、必然ともいえる出会いでした。

次の日の予定の話は何もしていなかったのですが、東京でのリハーサル時に宮島に行きたいというのを小耳にはさんでいたのもあり、ともに行動せずとも、もしかしたらという思いがモモにはありました。それもあって、時折、人混みの中を意識して見ていたら......見つけてしまった🥹

あれだけの人の多さの中、お互い出会えたことに驚きを感じてはいましたが、モモにはなんとなく予感がありました☺️

驚きを隠せないメンバーたちは、それぞれの出会いに感謝しながら思い出のショットをパチリ📸。なぜかタイミングよく一匹の鹿が乱入し、とても良い写真が撮れていました☺️

すまんの〜ぅ😞

🍑

暦の上では秋ですが、宮島の弥山ではまだ蝉が鳴いていて、参道を歩いていても汗をかくほどの残暑がまだ感じられました。午後を過ぎて暑さもさらに増していたので、弥山登頂は翌日の朝にまわして、旅館にチェックイン。少し休んで夕食を食べた後、モモと家族とT子の三人で夜の鳥居を見に行ったのですが......。

そこには、浴衣を着た老若男女のブロンド女性👱‍♀️や男性👱ばかりで、日本人はモモたちを含めて数人しかいませんでした😳 

夜の宮島は欧米か?!

夜の宮島に訪れたのは、今回で二度目でした。

潮の満ち引きによっては、鳥居のすぐそばまで行ける時もあるようですが、前回も今回も満潮で、行くことはできませんでした。

......が、照明に照らされた夜の鳥居は、距離があるからか、一段と幻想的な存在に見えました。

夜の帳に、赤ともオレンジとも言えない鳥居を見ながら、前日ライブの達成感と今日の出来事と幸いを噛み締めながらも、少し不安な開放感を感じていたモモでした......。

夜の宮島も、おすすめいたします🤗

(第三日目・弥山登頂に続く...)

 

 

お読みくださりありがとうございました。🙇   モモ

広島遠征ライブ番外編・お墓参りと宮島①?!

~ お墓参り ~

🐾第二日目の前半🐾

宮島の弥山から望む瀬戸内海

今回の広島遠征ライブには、モモの家族と、モモが以前プロデュースしていたバンドのギタリストのT子が同行してくれました。彼女は今のバンドのギタリストのWさん同様、モモの依存症のことを知る数少ない人間です。

T子は、音楽に関わる以前はモモの家族と一緒に役者として劇団に所属し、演劇活動をしていました。モモの家族とは、古くからの友人です。

大阪から西へ行ったことがないというT子でしたが、今回の遠征ライブに行くバンドメンバーたちも、広島出身者以外は、みんな広島に行ったことがないとのことでした😳

広島遠征の話が決まっていく中で、T子の同行も決まり、モモにはもうひとつの旅の目的ができました。

それは、T子を宮島に連れて行って弥山に登り、あの瀬戸内海の絶景を見せてあげたい、というものでした。

メンバーの中には、原爆ドームや原爆資料館に行ってみたいという人もいました。どちらもライブハウスから近かったのですが、モモがそこをことさら勧めることができなかったのは、原爆(偽装原爆)に対する疑惑がまだ解決されていなかったからだと思います🤔

それでも見るべき戦争の傷跡......。

モモの家族とT子は二人で道に迷いながらも、モモの口頭での道案内でドームだけは見られたそうです。モモの家族は何度も行ってるんじゃけどね😓

世界的に知られているはずの「ヒロシマ」と「ピカドン」ですが、日本人で訪れたことのない人は、意外に少なくないような気がします。

ライブ前日は関東に台風🌀が接近し、観測史上最大といわれる雨量が千葉を席巻。

当日の電車🚃の運行が心配されましたが、東京の交通機関は一部を除いて正常😌

前日に飛行機✈️で広島入りを予定していたメンバーたちは、欠航を早めに確認し、急遽、夕方の新幹線🚅で広島入りしていました。

モモたちは当日朝、二番目の新幹線で広島入りしましたが、前日入りしたメンバーに聞いていたように、広島は晴天で、若干の暑さは感じたものの、気持ちの良いライブ日和☀️

広島滞在中の三日間が晴天だったのは、なによりもありがたいことでした🙏

ライブのお話は前回のブログにて↓

二日目も雲ひとつない晴天☀️(宿泊先のホテルて撮影)

ライブ終了後に軽い打ち上げを終え、ライブの興奮冷めやらぬままホテルに帰り着いたのは、午後11時すぎ。翌日の宮島は朝早く行く予定だったので、すぐにお風呂🛀に入って就寝。前日は午前三時起きだったので、眠れるかとも思ったけど、いつものように中途覚醒があり、午前四時過ぎには起き出して、一階ロビーの喫煙所でいっぷく🌬️

モモの家族とT子は寝ちょる😴

打ち上げではショボい料理しか食べていなかったのでお腹も空き、まだ暗い街中を彷徨い、コンビニで塩にぎり🍙とホットコーヒー☕️を買う。

広島には、中心部を東西に走る「100メートル道路」と呼ばれる、とても道幅の広い通称「平和大通り」という道路があります。そこにあるベンチに座り、買った塩にぎりとコーヒーを口にしながら、昨夜のライブや今回の旅のことに想いを馳せ、朝を待っていたのですが......。

突然、ひらめきます💡

「そうじゃ😳、まだみんな寝とるけん、墓参りに行ってしまおう!!」

父方のお墓がある三滝山からの朝日

最初、広島遠征が決定した時点で、ハードスケジュールになると思い、今回は墓参りをせず、次の機会にするつもりでした。

少しだけ遡って、九月三日の朝のことですが、起き抜けに、なぜか生みの母親の命日が今日だということが頭に浮かびました......。

「そういえば、今日はみっちゃんの命日だよな🤔」

命日が過ぎてから、そういえば......と思うことはありますが、いつもは命日を思い出すこともなかったモモです。今回はなぜかこの日に限ってふと思い出したこともあり、なんとか調整して、単独でもいいから墓参りに行こうと思いました。

本当は、遠征三日目の朝に予定していた墓参りでしたが、家族とT子が起きる時間まで、まだ三時間はありそうなので、今のうちにと思い、行くことにしました。

睡眠中の家族に事情を話し、ホテルの玄関を出てみると、タクシーが待機中🚕!!   これはありがたいと乗り込み、最初は父とご先祖様がいるはずの三滝墓園の合同墓地に行きました。少し明るくなりはじめた広島市内を走るタクシー......。

本通り、ドーム、寺町の電車道、横川駅、太田川。どこも懐かしい広島でした。

三滝観音に到着しても、まだ日は昇りきってなく、それをガラホでパチリ📸。

太田川に架かる三滝橋

父方は墓じまいをしているので、合同墓地に挨拶だけして徒歩で三滝山を下り、母方のお墓がある安芸長束の修道院に電車で向かいました。

数回行っただけの場所ですが、その記憶は朧げに残っていて、たぶん、最短コースで到着。

✝️

修道院に入ってからは、墓地まで急勾配の坂道を上っていきます。ところどころ、蛇が出てきそうなその坂道には、間隔を置いて立て札🪧がいくつか立てられていて、そこにはローマ数字と、キリストさんがゴルゴダの丘へ向かう場面の絵と、「受難」などの言葉が描かれていました。調べてみたら「十字架の道行き」というものでした。

キリストさんの受難に比べれば、モモが坂を上る労苦など微々たるものですが、墓地に到着した頃は息が上って汗だくだく💦、水を買っておけばよかったと思いました。そうしてみっちゃんの墓碑に着いてみると、ちょうどお彼岸の時期だったというのもあり、お花が供えられていました。

日本のお墓とは違って、平べったい作りの墓碑には、故人の名前の上にそれぞれマリアやヨセフといった名前が彫り込まれています。そこには、モモの生みの母とその兄弟、そしてお祖母さん、数世代前からのご先祖様のお骨が納められていますが、お祖父さんだけはお骨がないと認識しています。お祖父さんは、若くして戦争に出兵し、戦うことのないまま船ごと沈んで亡くなったと聞いているからです。

🥀

お花は少しよれていましたが、きっともう会うことはないであろうモモの母方の親戚たちがお墓参りしたのだと思い、少し安心した気持ちになりました。

帰りは、来た道から少し外れたことで迷ってしまいましたが、出会った人に尋ねながら、なんとか駅にたどり着きました。

ありがとんラッキー🐱

🍑

今回の旅の目的は遠征ライブと宮島行きでしたが、間際になってお墓参りをすることに決めました。その動機を後押ししてくれたのは、とあるYouTubeの動画配信でした。

その動画によると、人は二世代前の祖母のお腹に宿った母の体内に、そのもとになるものがすでに存在しているということです。命は三世代がつながっているのであり、ミトコンドリアでいえば母系はずっと続いている。

モモの生みの母親のみっちゃんが、モモのお祖母さんのお腹に宿ったとき、すでにモモとして生まれる卵子が存在していたということ。これはモモだけじゃなく、世界中の誰でも、猫も犬もそうだかんね🤗

お墓には骨があるだけ......。

人それぞれお墓にはいろんな想いがあるのでしょうが、このつながりを意識することが、モモにとっての墓参りです。

モモを育ててくれた父方のお祖母さん。

モモとつながりのある、生みの母とお祖母さん。

そして、ご先祖様。

モモには子どもがいないので、もうここで命のつながりは途切れてしまいますが、世代を遡れば誰もが親戚だといわれるように、その日本人の心だけは伝えていきたいです☺️

(第二日目の後半、宮島に続いちゃぅ......)

 

 

 

お読みくださりありがとうございました。🙇   モモ

ライブ日記・広島遠征ライブ編?!

~ 広島遠征ライブ♫ ~

🥁第一日目🥁

2026年9月のシルバーウィークに、モモの生まれ故郷の広島でライブを実現することができたのは、高校生の頃にモモが活動していたバンドを知るOさんの尽力のおかげでした。

🎙️ 🎸 🎸 🎹 🥁

モモが今参加させてもらっているバンドには、モモを含めて三人の広島出身者がいます。

三人とも、地元広島でもバンド活動をしていました。

ひとりは付かず離れずの距離感で、広島でも東京でもずっと友人でいてくれたギタリストWさん🎸。そしてもうひとりは、モモが上京してからはまったく縁がなかったものの、2025年冬の原宿クロコダイルライブで再びステージを共にすることになった、キーボーディストのUちゃん🎹です。

三人が長い年月を経て、今再び同じバンドで演奏し、同じステージに立てることに、モモはこの上ない縁を感じています。

もちろん、当時のバンドは三人だけでやっていたのではなく、ほかにもメンバーはいました。現在広島在住のベーシストKさんと、当時バンドリーダーであったギタリストTさんです。もうひとり、女性ボーカリストがいましたが、今は消息がわからないようです......。

全メンバーでの再会は叶わずも、五人が集う🥹

過去の広島でのバンド活動は、当時の学生コンテストで優勝したこともあり、ワンマンライブも行うほど精力的な活動をしていました。そんな中、ある大手飲料メーカーが主催するコンテストで大物プロデューサーとの出会いがあり、それをきっかけにバンドが上京することになります。

しかし、思うような活動もできないまま人間関係に行き詰まり、一年もたたずにバンドは散開してしまいます。......って、モモが夜逃げしたんだけどね😛

その後、紆余曲折があり、リーダーのTさんとは再びバンド活動をすることになるのですが、解決されないままだった過去と同じ問題に直面し、モモは再びバンドを脱退してしまいます。

その経緯は、過去記事にて☺️

高校生だった当時、広島市の繁華街にあった某楽器店の練習スタジオはガラス張りで、楽器店の来店者なら誰でもバンドのリハーサル風景を見ることができました。音もわずかに外に漏れていて、練習とはいえ、どこかライブ感を感じれる見せるリハーサルだったように思います。

そこで、モモたちのバンドを「高校生の先輩たちのバンド」として、憧れの存在として見ていたのが、今回のイベントを実現させるために尽力してくださったOさんです。

Oさんは当時まだ中学生だったそうですが、モモは女の子の視線👀こそ気になったものの、そんな男の子がいたという記憶はありませんでした😅

今回、Oさんにお会いしたら、当時の状況を詳しく聞かせてくださいました。

ドリフのズンドコ節♫の「ホームの陰で泣いていた...」ではないですが、Oさんは楽器店の柱の陰でいつも練習風景を見ていたそうで、ドラムスの配置位置まで手振りで説明しながら話されていました。

その後、Oさんも音楽の道を歩むことになり、今回のイベントでも共演しています。

イベント終了後に四人での再結成。演奏するはスーパーサファリ♫

広島に暮らしているかつてのメンバーとモモの間には、若き頃のすれ違いやわだかまりから、険悪ではないものの、少し距離を置いてきたところがありました。

今回のイベントは、東京と広島で二重生活を送るギタリストWさんと、Oさんとのつながりから生まれたものです。

ライブ会場や日程、対バンの数など、話が二転三転し、一時は年内のライブは難しいのではないかという見方もありましたが、それでも広島で地道に駆け回り、動いてくれたOさんのおかげで、何とか今回のライブイベントが実現することができました。

その尽力には感謝しかありません🙏

そんなOさんを動かしたのは、モモたちが高校生の頃に活動していたバンドの再結成した姿を、もう一度見たいという熱い想いでした🥹

当時のバンドリーダーTさんとの再会

🤝

「あの時は世話になったのぅ......。お前に一番会いたかったんじゃ!!」

「本当にあの時は世話になったのぅ。ありがとうのぅ」

それまで誰かと話していたはずですが、モモに気づくなりそれを中断し、ゆっくりと歩み寄りながら、固い握手とともにかけられたTさんの言葉です。

それは、まわりにいる人たちみんなに聞こえるような大きな声だったので、誰かがその出会いの瞬間を撮影してくれていました(上の写真)。

久しぶりの再会でした......。

もちろん、モモも会えることを心待ちにしていましたが、思いもよらなかったTさんの言葉に、少しあっけにとられました😳

Tさんは、モモがドラマーとして参加してくれたことが、バンドのメジャー・デビューへの足がかりになったというようなことを語っていました......。モモが在籍していた頃のオリジナルメンバーではなかったですが、そのバンドはTさんと女性ボーカルを中心に、ほかのメンツを組み合わせてメジャーデビューを果たしました。

一時はテレビ主題歌やCMなどで楽曲を耳にすることもありましたが、バンドのスタイルがもうあの時代にそぐわなかったのか、大きく売れることはありませんでした。

バンドは契約満了とともに解雇され解散。Tさんは広島に帰郷し、映像関係の仕事をしながら地元で活動する若手アーティストを応援する活動をしていたようです。

その後、数年前に脳梗塞に見舞われギターを弾くことはできなくなってしまいましたが、リハビリを続けて映像関係の仕事には復帰し、今回のライブも撮影してくれました。

モモはそのライブ動画を見ましたが、そのクオリティはかなりのものだと感じています。

ちなみに、食生活のことを確認したら、植物油は抜いているとのことでした☺️

さあ!!!   さあ、さあ〜!!! ところで、ライブはどうだったのか?!  

イベントの出演バンドは五組。イベントを企画したOさんのバンドと、カバー曲を演奏するバンドが二組。さらに、東京から招かれたアコギ弾き語りのプロシンガーHさん。彼はモモたちのバンドとのつながりから、今回は招かれました。

そして、モモたちのバンドです♫

開演から終演まで六時間にわたる超ロングなライブイベントでしたが、全体的にテンポよく進み、音疲れしないバランスのよいイベントだったと思います。ただ、こういう対バンの多いイベントでは、時間が押してしまうことがよくあります。でも今回は逆に、対バンのステージがどれも早くに終わってしまいました。

そこを埋めたのが、うちのバンドのリーダー兼ボーカリストのZさん🎤

元は校長先生だったというのもあり😅、ステージMCもですが、場をつなぐお話も達者で、お客さんはみんな生徒さんのように引き込まれ、トークを楽しんでいました🤭

その勢いのまま、モモたちのバンドは大トリを務め、50分ステージで全9曲を披露し、懐かしのバンドの再結成による演奏も実現することができました。

Oさんが喜んでくれたのは言うまでもありませんが、客席は最後までいっぱいで、終始ノリノリ🕺💃。ステージ後半は観客がスタンディングになり、バンドと観客が一体となった、抜群のステージでした。

モモはというと、不可思議な機材のトラブルがあったものの、それをものともせず、キレキレの安定したドラミングでバンドを支え、いい汗を流せたライブになりました💪💪💪

お疲れ様でしたぁ〜!!

🍑

前回のブログで、この広島遠征ライブはモモにとってのマイルストーンと言いました。

それは、若き頃のつながりが再び復活したとか......

過去のわだかまりを清算したとか......

そんな野暮なことでは一切ありゃーしません!!!

過去ではなく、今!!  

ここがスタートであり、ここからはじまったこの新しいつながりこそが、

大切なのだと心から思っています。

マイルストーンは、振り返り戻るところではなく、ここまできたと刻む印です。

(第二日目に続く)

 

 

お読みくださりありがとうございました。🙇‍♀️   モモ

マイルストーン?!

~ はてなブログ投稿・200記事到達!! ~

🤗序章🤗

🐱

2024年4月から始めたこのブログも、二年五ヶ月で経て、200回目の記事を投稿することができました👏

単に200回目というだけで、単なる通過点でもあるとは思いますが、このブログを投稿し始めてから、人生の変わり目ともいえる節目が、幾度かあったように思っています。

少しカッコよくいえば、それは、モモにとってのマイルストーンでした。

そして、今回のブログを作るためにパソコンのキーを打ち始める前にも、モモは再びそのような節目を感じました。

そのマイルストーンは、先日のシルバーウィークに行われた、モモの生まれ故郷の広島での遠征ライブと、宮島観光を含む様々な出来事の中で感じられたことです。

たぶんそれはモモだけじゃなく、今回、同行してくれたモモの家族を含めて、バンドのメンツやその友人たちにとっても、マイルストーンを感じれる旅だったんじゃないかと思っています。

わたしは留守番......留守番猫ラッキー😹

モモが想像もしなかった過去の出来事が、地元でのライブを実現させました。そして、過去のわだかまりや、断ち切ったはずのつながりが、今回のライブをきっかけに再びつながりを得て、その先までも感じられるようにもなっています。

それは、若き頃に抱えていた疑問に、答えが出されたように感じられるものでした。

あれほどすれ違い、わだかまりを抱えていた人たちから、思いもよらない言葉をかけられたこと......。

モモはその言葉を聞いた時、自分のやってきたことすべてに意味があったのだと、改めて思うことができました。だからこそ、その先があることを感じられ、「今をどうするか」を冷静に考えていけるような気がしています。

まだまだ蝉鳴く、残暑の広島でした💦

200回目の投稿を意識して、初心に戻ったつもりで依存症の事を記事にしてストックしていたのですが、今回はそこにこだわらず、というか、これもその一端でもあるので、広島での遠征ライブと、広島滞在中の出来事などを三回くらいに分けて投稿したいと考えています。

一日目のライブ本番、二日目の墓参りと宮島、三日目の帰京。

一日平均歩いた歩数は20,000歩。モモは単独でお墓参りして道に迷ったから、二泊三日で70,000歩は歩いたと思います。わりとハードなスケジュールでしたが、一日一日充実した時間を過ごし、たくさんの写真も撮ることができました。

ライブ♫も大好評でしたが、今回、広島や宮島に行くのが初めてというメンバーもいて、慶事多端(けいじたたん)というらしいですが、喜ばしいことがたくさんありました🙏

まずは、撮り溜めた写真を整理して、来週金曜のモモ金ブログにて、投稿をスタートしたいと考えています。

見てね〜!!

今回の旅のお共に持って行った本とおにぎり!!

🍑

今回、往復の新幹線で読む本として、ドイツ人科学ジャーナリストのミヒャエル・パルマー氏の「偽装原爆」の本を持って行こうとしたのですが、機材の多いところに分厚い本を持参するのもどうかと思い、サロペットの後ろポッケに入る本にしました😅

アリペイ・マムマドフ氏の著作本「アゼルバイジャンという戦略」という本です。

三歳になるまでに親日教育が完了するといわれる親日国、アゼルバイジャン。それを、石田和靖氏の著作本「越境3.0~境界線を超えて未来を作る」という本で知りました。

パンが買えなかった国から、エネルギーを売る国へ......

日本に憧れ、日本を見習って国を再興させてきたストーリが描かれた本ですが、今はそのアゼルバイジャンを見習うべきは、日本側ではないのか......。

そんなことが感じられる本です。

そこに、よい言葉があったので引用します。

運ではない。奇跡でもない。すべては「選び続けた結果」だ。

刑務所の独房で、分厚い布団にくるまりながら、その寒さにブルブルと震えて眠れなかったあの頃のモモには、今の現実と幸いを想像することなどできませんでした。

だけど、その後に自らが選んできたことの積み重ねが、今の結果をつくってきたのだとも思えています。

来週は、ライブ日記の予定ですぅ😙

(続く)

 

 

お読みくださりありがとうございました。🙇   モモ

知ってしまったんです😳?!

200回目投稿まであと1ちゃ、カウンドダウン投稿!!

~ 199投稿目~

日本人の味覚はコントロールされてる?!

朝は、ご飯🌾とお味噌汁。

これが今の鉄板で、二年以上続けられています。

時間に余裕がある時は、イワシ🐟(国産)やシャケ(紅鮭ロシア産)を焼いて、大根おろしを添えて食べますが、バタバタする日は納豆一択。備え付けのタレ・カラシは使わず、ネギとお醤油。でも最近は小さじ一杯ほどの梅酢で食べています。

近所に小さなお魚屋が最近できたのは運命なのでしょうか?!.......なんて😝

運命ではないですが、とても懇意にさせていただいていて、とても重宝しています。

 

近所の魚屋さんでまとめて買っちゃって冷凍🧊

お味噌汁の具材はまちまちで、豆腐、アサリやシジミ、きのこ類、葉物野菜、根菜などを日替わりで作っています。それぞれ合わせたり、時には塩蔵ワカメを入れたりして、いく通りにも作れます。出汁は天然炒り子だし。お味噌は国産無添加のものを二種類交互に使ってます。

 

何もない時は、目玉焼き🍳かポーチドエッグ🥚を作っています。鉄のフライパンに無漂白のベイキングペーパーを敷き、玉ねぎや鰹節、時にはお肉を入れての、三分二分表裏🔥

油は必要ありゃ〜しません😛

朝の糠漬けと海苔は習慣ですが、昼食、夕食と、三食ともに食べています。

きゅうり🥒、茄子🍆、大根、カブ🫜、人参🥕、ブロッコリー🥦の茎などなど...。

手の込んだサラダを用意するよりも簡単に生野菜を食べることができるし、お腹にもお肌にもよろし🖐️

これだけで......

炭水化物、たんぱく質、脂質、食物繊維、ビタミン類、ミネラル類が取れていて、エネルギーや体をつくる材料、腸や体調を整える栄養が補えています。調理時間は30分以内。金額にすると、おおよそ三百円〜五百円くらいだと思います🤔

全品、四毒抜きの朝食です🤗

 

昼食も自炊。

家族のお弁当は、冷凍食品を完全にやめて、手作りにしました。

 

ハンバーグは前の晩に焼いておく🍱

シャケ🐟やハンバーグ、焼肉丼🥩などを作ったりしますが、前の晩のおかずの残り物で間に合わせることもあります。ご飯を詰めて、ゆで卵、氷見稲積梅干し(無添加)、糠漬け、海苔などを添える。モモのお弁当は見た目があんまし良くないのですが、それでも、家族から美味しいメッセージが届きます......たまに😅

モモはというと、ひとり飯でもしっかり自炊することで、お金を使って買い食いすることはほぼなくなりました。

家族のお弁当🍱を作るときに、モモのもいっしょに作っちゃう!!

そして、お肉があれば豚丼🐷。お蕎麦もあるし、糠漬けと海苔と卵があれば、ご飯食べれるでしょ?!   ちなみに、お蕎麦は十割蕎麦一択ですが、麺つゆも自家製で作っています。今、ブログ用にモモのレシピ集みたいなのを作成中なので、いつか披露したいと思っています😙

店屋物を食べるときも、魚屋さんで塩焼きしただけのお魚やお刺身を買ってきて、丼にして食べています。食材もなくお金も乏しい時は、ローリングストックの鯖缶!!  

災害用に買い込んだものを、消費期限を見ながら食べる。

ほんと、昼食にお金を使うことがなくなりました。

家族が在宅のときも特に変わらずで、たまにお出かけすることがあれば、🍙を持参して出かけたり、和食の定食屋さんや回転寿司で食べる。

外食は、どうしても緩四毒になっちゃういます。

 

自家製麺つゆと自家製ラーメン(四毒抜き)

そしてラーメン🍜は......。もう近所で食べることはなくなりました。

不思議なもので、濃厚豚骨スープも鶏がらスープも、家系もインスタントもカップ麺も、食べてないと食べたいともあまり思わなくなりました。

それでも、たまに近くまで用事があって都心東部に行くことがあれば、東京都墨田区にある四毒抜きラーメンの「晴天家(ハレルヤ)」さんでラーメンを食べることがあります。

美味しいから、ぜひご賞味あれ🤗

モモの献立表も継続中〜💪

夕食は💪💪💪

自炊は基本ですが、以前より手間をかけて作るようになりました。

伝統的和食とまではいかないのですが、主食はご飯で、おかずは肉🥩よりお魚🐟を多めにして、根菜類🥔の煮物や酢の物🥒などの小鉢を増やしています。簡単に和えるだけのものもありますが、特に下拵えが必要な肉料理は、前の晩からしょうゆ麹やニンニク生姜醤油などに一晩つけ置きして作っています。

夕食のお魚は、お店に行けば新鮮でよいものをすすめてもらえますが、お肉は三つのスーパーで買い分けています。

お肉を料理してそのまま肉汁も食べる場合は、高級スーパーの抗生物質フリーのお肉を選び、揚げない唐揚げや蒸し鶏のように、食べる前に肉の油を落とせる料理には、チェーンスーパーのお肉を選んでます。

以前とあきらかに違うのは、お米のご飯を食べるようになったこと。

間食でさえ、頻回食として小さな🍙を食べています。

巷では糖質制限が謳われていますが、糖質より意識すべきは脂質といわれる人もいます。

なにはともあれ、月に5キロのお米を二度購入していたものが、週に一度になり、ほぼ毎日4合のお米を炊いています。大事なのは、よく咀嚼して食べること。

 

いつかの夕食

夕食は朝昼同様に必要な栄養素を摂ることを目的としていますが、作った料理が偏らないように、献立表を書き残すようにもなりました。

それも四毒抜きの食生活とともに、継続できていますぅ💪

二八蕎麦を二八さんが作った蕎麦だと思っていたモモが、今は自家製の麺つゆも作れています。四毒抜きの食事を始めた当初は試行錯誤でしたが、今はレシピ本をはじめ、YouTube動画でも様々な四毒抜きレシピが公開されています。

教えてくれたよしりんにも感謝だよね🥹

ひと月?!   いやさ、一週間でもやってみたら変化を感じられると思うよ〜んだ!!

 

よしりん、いっぱい本出してるけど、モモはこれ一冊で事足りてます。

おしまい👏!!

🍑

ところで......。

何を知ってしまったのか、気になるところです😳

以前の食生活と今の食生活のどちらが身体に良いとか悪いとか......

そんなことではないんです。

なぜ、それまでなかった食生活を日本人がするようになったのか。

それを知ったからこそ、モモは四毒抜きの食生活をしています。

それは......

日本の敗戦後に進められた、戦後の食料転換政策です。

誰がやったかは周知こととは思いますが、米国GHQと日本政府の政策で、米を食べる和食の生活から、日本人が歴史的にも食べてこなかった小麦のパンを食べる生活になってしまったことです。

それは、今でこそご飯が主食になった学校給食ですが、モモの子ども時分はパン中心の給食でした。そこから食の餌付けがはじまり、ファーストフードやコンビニ食、マスメディアに溢れる超加工食品を当たり前に食べるようになりました。

モモは、その食生活によって、日本には病気が増えていると思っています。

海外では、癌などの病気に対して食生活を見直し減少傾向ですが、日本ではますます増えています。欧米では、グルテンフリーは一般的に認知されていて、スーパーにもグルテンフリーのコーナーがあると聞きます。日本はオーガニックには敏感だけど、戦後、慣れ親しんだ食生活からは離れられないようです。

食生活により病気に罹患し、医療を受診し、薬を処方され、保険を勧められ、病気の根本原因が見直されないまま生かされ続ける。

搾取され続け、命が換金される。

誰に?!   言うまでもないことですが、知っている人は幸いです。

兎にも角にも!!

そんな構造を知ってしまったからこその四毒抜きのすすめ。

なんだよ〜んだ🤗

 

 

お読みくださりありがとうございました。🙇‍♀️   モモ

知らなかったんです😳?!

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日本人の味覚はコントロールされてる?!

🍞 🥞 🌭 🍔

朝はパン🍞

これが何十年も当たり前の生活☀️でした。

基本はスーパーで買う食パンですが、家族が前の晩、仕事帰りに有名ベーカリーでメロンパンやカレーパンなどの菓子パンや惣菜パンを買ってきてくれるときもありました。

休みの日などは、ときどき朝マックを食べることもあり、朝にお米のご飯を食べることは、月に一度か二度あるくらいでした。

朝のヨーグルトとコーヒーは習慣で、プレーンヨーグルトといえども、蜂蜜とプロテインを入れて、甘くして食べていました。

時間に余裕がある時は目玉焼きを作る🍳

ハムやベーコンといっしょに焼いて食べることもありましたが、家族の助言もあり、発色剤などの添加物が入っていないものを選んでいました。

そして使用する油は、輸入物の高級エキストラバージンオリーブオイル🫒

焼く、炒める、手作りドレッシングと幅広く使い、地元にある専門店で手に入れたもの。普通のサラダ油は良くないと聞いていたので、なんでもかんでもオリーブオイルでした。

知らなかったんです😳

野菜や果物も、朝からなるべく食べるようにしていました。トマトやキャベツなどの生鮮野菜があるときはそれらを食べ、ないときはトマトジュースや野菜ジュースを飲んでいました。スムージーが流行り出した頃、専用の機械を買うような思惑もあったのですが、四毒抜きを知ることで買わずに済みました。

なんといっても、野菜を含めたすべて食べ物は、咀嚼してこそ栄養になるんだもんね😝

果物は滅多に買わなかったけど、旬のものはたまに食べることもあり、夏にはスイカ🍉、冬にはお蜜柑🍊、春にはイチゴ🍓を食べていました。

イチゴは朝のヨーグルトに入れて食べるのも定番でした。

知らなかったんです......😳

🌭 🍔 🍟 🍕

しばらくして、身体に良くないといわれる食品添加物を避けるようになり、最初の懲役の報奨金で購入したホームベーカリーで、自家製のパンを作るようになりました。そこから自家製のジャムも作るようになるのですが、作る段階で、パンにもジャムにも大量の砂糖が使われていることを知り、正直驚きました。

ホームベーカリーのレシピでは、120gの砂糖を使用するとあり、角砂糖ならなんと36個分😱......巷では清涼飲料水や炭酸飲料に添加された砂糖が話題にもなっていましたが、ジャムに入れる砂糖の量もすごかったです。

それ以来、市販のジャムを買うこともなくなりましたが、市販のものは、もっとすごい量入っているような気がします😳

かといって......

一度に食べるわけでもないので、ジャム作りをやめることはありませんでした。ただ、ジャムに使う砂糖の量を1/4まで減らして作っていました。

それでも甘かったから、材料の果物の糖度が相当高かったんだよね😅

ちなみに、コーヒーは今も飲んでいますが、昔は砂糖は入れずとも、例のミルクもどきのコーヒーフレッシュをたくさん入れて飲んでいました。

あれって、水と油で作られてるんだよね......。

しかも、それを混ぜ合わせるために界面活性剤(洗剤)が使われてる。

知らなかったんです😰

🍝 🍦 🍰 🍫 

昼食はまちまち。

家族のお弁当は、前日の夕食の残りを使うときもありましたが、基本は冷凍食品の盛り合わせでした。以前はまだ電子レンジもあり、朝のバタバタする時間にチンチンってメインのおかずを作り、梅干しとゆで卵などを入れる。昔は糠漬けを作るという発想すらなく、漬物はキムチや浅漬けなどをたまにスーパーで買うくらいでした。

モモはというと、ひとりのときはほとんどが店屋物。

依存症とまったく関係ないとは言い切れませんが、冷凍うどんや冷凍パスタ、コンビニの冷蔵ラーメンなど......簡単で柔らかい食事、麺類ばかりを好んで食べていました。

インスタントの袋ラーメンも大好きで、辛ラーメンとか、大久保のコリアンタウンに行くことがあると、五、六食は買っておいてストックしていました。

ひとり飯は自炊することもなく、買い食い感覚でお昼を賄っていました。

今でこそ、食事時は煎茶や焙じ茶、麦茶ですが、昔はご飯を食べながら、特保のコーラや黒烏龍茶を飲んでいました。

本当に知らなかったんです😱

家族が在宅の時は自炊をしていましたが、モモのひとり飯と同様に、スーパーのお弁当やお惣菜などの店屋物で済ませることも多かったです。

軽食感覚で、パスタや冷凍うどんなどの麺類も多く、お蕎麦も食べていましたが、低価格の乾麺を選ぶことがほとんどでした。昔は蕎麦粉に小麦粉が混ぜられていることも知らず、二八蕎麦の二八が粉の割合ということさえ知りませんでした。

二八さんが作ったお蕎麦くらいにしか思っていなかったんだよね😅

たまにインドカレーのナンやデリバリーピザを頼むこともあり、お昼に外食をすることはあまりなかったのですが、地元柄、有名で人気のあるラーメン屋も多く、たまにラーメンを食べに行くこともありました。

知らなかったんですょ😳

🍫 🍩 🍪 🍜

夕食はしっかり!!

夕食はしっかり栄養が摂れる献立を作るつもりが、実際には、そうなっていなかったと思っています😳......自炊が基本で、季節を意識することはありましたが、お昼からの流れで少し豪華になるくらいの献立でした。

それでも野菜は必須で、肉料理、魚料理、夏は麺類、冬は鍋。今は朝に必ずお味噌汁を飲んでいますが、昔は夕食どきに飲んでいました。

でも、今ほどお魚を食べることはなく、お肉を使った料理が多かったです🍖

鶏の唐揚げは、今はトースターで揚げない唐揚げを作りますが、昔は店屋物でした。

そして......

ハゲ散らかしたフッ素加工のフライパンにオリーブオイルをたっぷり使い、焼くだけの餃子、手作りチヂミ、生姜焼き、焼きそば、手作りパスタなどを作っていました。麻婆豆腐や酢豚などの中華料理には、胡麻油をたっぷり使っていました。

知らんかったんです😳

🍘 🧇 🥮 🍧 🍪

実はこの食生活の中に、毎日の習慣として、アイス、チョコレート、ポテトチップス、揚げ煎餅やクッキーなどの間食も含まていました。

ちなみに、お酒は記念日のケーキと同じように、年に数回程度たしなむだけでした。

その後......。

毎日の献立に変化がなく、偏りはじめたことに悩むようになってから、食材宅配のデリバリーを利用するようになりました。

栄養士が考えた献立一日分の食材が毎日届くもので、国産の生鮮食品や加工食品が使われていて、栄養バランスの面では良かったと思っています......。

料理は自炊でしたが、夕食は四毒抜きを始めるまでそれを利用していました。

そして、知ってしまいました......😳

四毒抜きの詳細はこちらから↑

🍑

四毒抜きを始める前のモモの食生活を、記憶をたどりながら記事にしてみました。

最後まで読んでくれた方の中には、これを日本人のごく当たり前の食生活だと感じる人もいるかと思います......。

でも、いざ四毒抜きをはじめてみると、そうでないことがわかってきます。

日本人本来の食生活ではないということが、身体を通して理解できるようになります。

モモは、それを知ることになりました😳

太字で挙げた食べ物は、どれも食べてすぐどうにかなるというわけではないですが、長い年月をかけて、日本人の心と健康を蝕んでいくもの、日本人の身体には悪食になるものと、モモは理解しています。

モモはここ二年と三ヶ月、太字の食べ物は食べていません。

もちろん、人それぞれ体質もその閾値は違うし、病気でないなら、そこまで意識しなくてもいいとも思います。

だけど、日本人にこれだけ病気が増えていることに疑問さえ感じないのも、この悪食に原因があるような気がしています。

モモが四毒抜きを始めるまでの食生活は......。

身体が悲鳴をあげ、自己免疫を敵にまわし、腸内細菌をないがしろにし、心に得体の知れない不安感と渇望感、そして怒りを生み出し、最終的には病気になるための食生活だったと思っています。

続く......。

 

 

お読みくださりありがとうございました。🙇   モモ