薬物依存症からの回復を目指す

モモちゃの言いっぱなし!

三人の弁護士③

ある有名な男性ミュージシャンが覚醒剤

逮捕されました。

特に好きなミュージシャンではなかったのですが、連日繰り返し報道されるテレビを見て

「やっぱりやめれないよね…」

そう思いながら、

自分もスリップしていました。

彼は最初の逮捕時に、ゲイであることを世間が知ることになったと思います。

セックスとセットで依存していたんですね。

前回の逮捕から20年以上経過していたので、再び実刑は免れて執行猶予になりましたよね。

 

その同じ年、ひと月遅れでモモも逮捕されました。三度目です。これを最後にしたい…。

実はモモ、有名芸能人が逮捕された時と同じ時期に逮捕されてるんですよね。

Aさん、Kさん、Mさん。

みなさん執行猶予で復帰されてます。

 

三度目の逮捕は共犯者も2人逮捕されて、またしても売人の嫌疑までかけられていましたが、複雑なのでここでは省きます。

 

三人目の弁護士さんのお話しです。

 

時が過ぎればいろいろと制度が変わりますね。三度目の逮捕は、見直された制度に戸惑ったり感心したりした逮捕でした。

まず困惑したのは、逮捕されたことを家族に知らせることが出来なかったこと。

自宅で共犯者と2人でいた時に警察が来たのですが、その場で逮捕状を見せられて、スマホなどを押収されました。

内偵されてたようです。

なんとなくわかってたけど…。

 

逮捕されたことを家族は知らないので、

連絡させてほしいと言ったらダメだと言うので、じゃあ警察から連絡してほしいと言っても、できないと言われました。

家族が心配するからと言っても、そういう決まりになったと言われて連絡できませんでした。連絡出来たのは逮捕されてから三日目、弁護士に接見してからです。

この時は共犯がいたのもあり、身柄の扱いが少し違いました。

送検時は、一度目も二度目も大型の護送車に数人の被疑者とともに腰縄手錠で乗せられて行きましたが、この時は単独でミニバンか何かで行きました。

その検察で弁護士を頼んだら、検察官がすぐ連絡をとってくれ、署に戻ったらその日のうちに来署してくれました。

 

面会室に先に入って待っていたら、ドアを勢いよく開けて弁護士さんが入って来ました。

上下黒のスーツに大きなキャリーを引きずりながら、まるで旅行から帰ったばかりのよう。

背丈がモモと同じくらいの男性弁護士さんでしたが、若干白いものが見える黒く染まった髪と刻まれた皺を見て、50代くらいかなっと思いました。

家族に一刻も早く連絡を入れたかったので、挨拶をすませそれをお願いすると、面会が終わりしだい連絡すると言われて、そのようにしてくれました。

お話しをしてみると、一人目の弁護士さんのような厳しさはなく、声のトーンも静かで優しい。

ただ、「薬物はやめないといけないよ」

みたいな話しも少しされて、差し入れで

「被疑者ノート」という小冊子を渡してくれました。これもこの時が初めてのこと。

「被疑者ノート」は弁護士連合会が発行している小冊子で、取り調べについてのアドバイスが書かれていたり、警察の対応、取り調べで質問された事などを書き込んだりできるようになっています。

警察の傲慢な取り調べや、暴力、違法行為などから被疑者を守るためのものです。

この時は共犯者もいて、売人の嫌疑もあったので取り調べ回数も多く、モモはノートにびっしりと取り調べ内容などを書き込みました。

 

弁護士さんは連絡したらすぐ来てくれて、呼んでもいないのに来てくれる時もありました。

留置場、検察、どこにでも来てくれた。

20日間の勾留でしたが、3日に一度は顔を出してくれたと思います。

留置場に一緒に入っていた詐欺師の兄ちゃんが、「来署すれば金になるからじゃない?」

と、言ってましたが、モモはそれだけじゃない誠実さを感じていました。

親身になって相談に応じてくれてる。

この弁護士さんは信頼できる。そう思った。

そして、弁護士さんに話す中で自分の性癖のことをカミングアウトしました。

弁護士さんは、そのことを家族に打ち明けたほうがいいと言われました。

「それを隠したまま薬物をやめることはできないと思うよ」

それは、モモもわかってたこと。

家族には出所してからカミングアウトします。

国選弁護人は当たり外れがあると以前書きましたが、この時は大当たりだったかな…。

留置場にいた他の被疑者は外れを引いたようで、弁護士面会時は面会室から毎回怒号が聞こえてました。

 

家族にも頻繁に連絡してくれていたようで、家族も弁護士を信頼できる人だと思っていたようです。

 

保釈は難しそうな感じでしたが、一応請求してみようと言われ、保釈請求しました。

留置場の職員も、他の被疑者も保釈は難しいようなことを言っていたので、今回も無理かと思っていました。

ちなみに保釈請求の理由は、ダルクや専門病院に通うためです。

実際留置場から、家族が調べてくれたダルクに手紙を出したり、保釈後専門病院にも通院しました。

弁護士さんも、来るたびに難しいようなことを言ってましたが、

「検察官は、◯◯さんに良い印象を持ってるみたいだよ」と、言われたので期待半分。

 

請求した翌日、何の動きもなかったので、

諦めて留置場で詐欺師やベトナム人と和気藹々お話ししていたら、夜8時くらいになって呼び出され保釈になったと言われました。

バタバタと荷物をまとめる間、留置場の職員が、「弁護士の腕が良かったんだなぁ…」と、言ってた。

 

保釈後、弁護士さんに指示された通りに病院にも通院して、薬物依存症の診断書をもらい、事務所に行きました。JR中央線沿い都下の駅近で、事務所は古そうなマンションの二階にあったのですが、中に入ってみると清潔感のある綺麗な事務所でした。

そして裁判に向けての作戦会議!

何か書かれたレポート用紙を渡され

「私が、ここに書かれたことを質問するから、

どう答えるかを考えてください」

台本みたいなものかな…。

質問内容はしっかり考えられた内容でした。

自宅に持ち帰って答えることを繰り返し練習したと思います。

 

裁判当日、弁護士さん遅刻して来たんですよね。裁判官や検察、モモも自席に待機していたのですが、なかなか現れない…。

どれだけ待ったか忘れてしまったのですが、

特に問題はなかったと思います。

もうこの時分はコロナが広がっていたので、裁判までも長かったし、判決も二週間以上あったように思います。

 

判決は1年10月。一部執行猶予4月。

 

この時には一部執行猶予制度がありました。

この制度は知ってはいましたが、取り調べの刑事も、弁護士さんもあまり勧めない感じでした。それでも一応希望し、一部執行がついた。

でも、刑期は判例通りですよね…。

前の実刑判決が、1年4月だったからプラス6ヶ月されただけです。

病院の診断書も、弁護士さんとのやりとりも、何の効力もなかった気がします…。

 

三人目の弁護士さんは、腕も良く、親身になって仕事をしてくれた良い弁護士さんでした。

 

終わり