薬物依存症からの回復を目指す

モモちゃの言いっぱなし!

刑務所からのお手紙

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出所する時、受刑者は刑務所で使用していた私物をすべて廃棄する人がほとんどだと聞きます。

最初に服役した時はモモもそうしました。

何故なら、刑務所で使用していた私物を持ち帰ると、縁が切れず再び刑務所に戻ることになると聞いたからです。

そんなことぁ〜ない😖根拠のない迷信だよ。

と、思いながらも、二度と来たくない場所だからほとんど廃棄しました。

でもすべて廃棄した訳じゃない…。

 

官物は返却しますが、入所時に持ってきた物や服役中に自分で購入した物は持ち帰れます。

本、筆記用具、歯ブラシや歯磨き粉などの洗面用具、差し入れされた物。タオルや下着類。

日記などに使用していたノートも検閲を受けて問題なければ持ち帰れます。

そして、家族や知人からのお手紙…。

 

日用品は中身が残っていたり、まだ使用できる物もありましたが、筆記用具も含めてすべて廃棄しました。帰宅時の着衣以外もすべて廃棄。

ノートも三冊くらいあって、刑務所のルールや毎日の出来事などを書き込んでいましたが、思い切って廃棄しました。出所して自宅に持ち帰った物は、本と家族からのお手紙だけです。

 

先日、メルカリで売れる物はないかと押し入れの中を整理しながら探していたら、その持ち帰ったお手紙の束が出てきました。出所して自宅に帰って来た時に、持ち帰ったお手紙をまとめて製本して仕舞っていたものです。自分が受け取ったお手紙と家族宛てに出したお手紙。段ボール紙と紐で製本したものです。

留置場、拘置所、刑務所と頻繁にやりとりをしてたので、総数は100を優に超えていると思います。

整理中の物をほっぽらかして、しばらく読み返していたら、あの頃、あの時の気持ちが書き込まれていました。

 

関東の刑務所生活は初めて経験することばかりで、シャバ感がなかなか抜けず困惑することばかり。自分の居場所を見つけるまでとても辛い期間がありました。大袈裟だけど死んでしまいたい気持ちにもなったと思います。

「お前は犯罪者だ!」

「ここでは息をすることと、想像することだけは許されるが、お前たちに自由はない」

こんなことを刑務官に言われたと思います。

落ちるとこまで落ちた、人として来てはならない場所に来てしまった。

犯罪者のレッテルを貼られる場所です。

恥を感じさせて、自分自身を最低な人間だと思わせる場所です。

そんな場所で、自動車部品を作ったり折り紙のツルを折りながら反省しろと言われます…。

刑務所で自分が犯した罪と向き合った時、それが薬物依存症という自分の意志では薬物をやめられない病気だと自覚した時、反省しろと言われても何を反省すればよいのか…。

被害者がいる訳じゃない、いるとすれば自分自身であり、自分がいなくなることで悲しむ家族じゃないか…。

最初の数ヶ月は困惑する毎日でした。

 

そんな自分を元気づけてくれたのは家族からのお手紙でした。

月に二通〜三通は届いていたと思います。

懲罰を受け、一番苦しかった時期に来た手紙は、一文字一文字が血となり肉になるようなものだったです。

自分が出した手紙には、後悔と謝罪、刑務所生活の不安などが綴られていましたが、家族からの手紙には許しと理解、励ましがありました。

 

しばらくして受刑生活が落ち着いてくると、手紙の内容も少し元気が出て来ます。

家事全般を全部モモがやっていたので、家族がちゃんと生活しているか心配する気持ちと、猫たちの健康状態などを聞いたりしていました。

毎日の食事の事、お掃除の事、お買い物の事。

家族は関東の刑務所に月一で面会に来てくれていましたが、それでもお手紙は欠かさず週に一通は発信していました。

お手紙の受信があると、刑務作業中に担当のオヤジの所に行き、サインをして居室で受け取りますが、頻繁にお手紙が来てたのを班長が見て、「…はラブラブだなぁ〜」と言っていたのを思い出す。

アメリカなどでは電話もできるんですよね。

民主党政権の時に日本の刑務所にも電話を入れるような噂を聞いたことがありますが、政権交代でなくなったのかな…。

服役中、家族とのお手紙だけが、唯一心を通わせ手段でした。

刑務所で起こる理不尽なことや自分のするべきことを、お手紙に書くことで自分を正気に保ててたと思います。

 

時代古いですが、松尾和子さんの「再会」という歌があります。

好きな曲ですが、自分が当事者になるとは夢にも思わなかった…。

出所間近のお手紙には、再会を待ち望むことが綴られていました。