モモの父親は、163cmのモモよりも背が低い人でしたが、女運が良かったのか悪かったのか結婚を三度しました。最初の結婚はモモの母親ですが、お見合い結婚。二度目と三度目は恋愛結婚でした。
子供の頃、両親の離婚でモモは母親とは離れましたが、大人になって再会した時に母は
「口が上手いけぇー、あの人は女の人にはモテるじゃろうよ…」と、言っていました。
いい意味か悪い意味かはわかりませんが、どちらかというと否定的に言っていたと思う。
母親は嫉妬が激しい人だったのか父の浮気で離婚して再婚したものの、再婚した相手が浮気したことで再び離婚。
「浮気だけは、絶対に許せんのんよ」
これもモモが大人になって聞いた言葉でした。
(その母の事は、記事を作成中、「虐待」)
モモの祖父母も、父が自慢の息子だったようで、子供の頃に学校で級長になった話しや、父が何か話しをするとすぐ人が集まってきたような事をよく話していました。父は才能なのか鍛錬なのか達筆で、よく近所中から代筆を頼まれていたとも話していました。モモも幼い頃に父が代筆を受けて書くところを見た記憶がありますが、姿勢を正し集中して書いた字は確かに綺麗だったと思います。
モモは父親とは小学三年まで二人で生活をしていましたが、口上手だと思ったことはなく、たまに夕食代を渡されて徹マンで帰宅しない日もあり、ほぼネグレクトな親だったと思います。あげくに、厄介者のモモを居酒屋夫婦に預けようとしたり里子に出したり。大人になって聞いた話しでは、施設には入れなかったものの、出張先のインドで子供がほしいというインド人がいて、そこに預けるような考えもあったようです。今思うと最低の親、最低な人ですが、子供の頃は何も知らずに愛着を持ってました。
母親のことも同様に憎んだりはしませんでした。両親ともに両親の人生があるんで仕方ない、子供らしくない思考ですが、ある意味親を一人の人間として認めるような事をまわりにも言っていたと思います。
今の家族に
「そんな酷いことされたのに何故親を憎まないの?」と、聞かれたこともありますが、あの人たちにもあの人たちの人生がある。みたいな思考が常にあったと思います。
【今はそれが良くなかったと思う】
今は、モモに対してのネグレクトや虐待を自覚し、怒り、憎み、そして許しています。
もう二人ともこの世にはいないけどね…。
そんな父ですが、一つだけ今でも心に残っている言葉があります。言葉というより考え方。
モモが子供の頃は、まだ原爆ドーム周辺に軍服を着て包帯で腕吊りをして物乞いする人がいたり、駅繁華街で募金活動をする人を頻繁に見ました。上京した今でもたまに見かけます。
最近テレビで放送されたチャリティー番組はさまざまな批判が浴びせられてますよね⁈
批判の内容は最もで納得できるものもありますが、それで助けられる人がいるなら、単に分断を作ってるだけのような気もします。
父はよく言っていました。
「わしは施しや募金は嫌いじゃ」
「なんで、みんな頭下げて物乞いする」
「あの人らがそんな事をせんでもええように、わしらは税金を払っとるんでー」
「わしらは募金に協力せんでもええ、税金で十分協力しとるんじゃけー」
この考え方がいいか悪いは別にして、モモもなんとなく自分の考え方に反映されています。
あともう一つだけ、記憶に残る言葉。
「お前らの時代は今よりずっと生き辛い時代になるじゃろーのー」
その通りになっています。
だからこそ変えていかないといけないんだよね!
モモが今一つ思いつくのは、自分の意志を社会に反映させる事、選挙に行きましょう。