たとえば末期の癌患者のように、日々身体に痛みを感じる病気であったなら、もっと強迫的な思いで病気を治そうとすると思う。
依存症は、やらなければやらないでいられるからこそ、そういう病気だからこそ治療を含めて回復が難しいと感じている。
そもそも治さないといけないものなのか...と、疑問を抱く時もあったりする。
でも依存症が進行すれば最終的に行き着くところは末期癌同様の結果が待っていることもある。薬物に限っていえば、行き着くところは墓場か刑務所か病院かと言われることもあるし、ギャンブル依存症の自死は依存症の中で最も多いと聞く。アルコールの場合は言わずと知れたこと。しかし依存物質や依存行動が止まったとしても、根本的な問題が解決されず自死してしまう人もいたりする。
依存症は他の精神疾患同様に、まわりの人からも病気と認識されないことがある。
薬物は半年断薬しても10年断薬してもスリップしてしまえば依存症は再発する。
一度のスリップは二度目、三度目を誘発してしまう。
そのループを止める方法は繋がりの中に身を置くことからスタートする。何かの本に書かれていたような言葉だけど、特に効果的な治療法もなく特効薬もない依存症を回復させる行動をしているモモには、それが今唯一やれることだから...。
依存症の本を読んだり、X(Twitter)のポストを見てると、精神的な辛さで薬物を渇望してしまう人がいるけど、モモはどうなんだろ…。
辛い時にアルコールや薬物をやりたいと思うことはあまりなかった気がする。
どちらかと言うと、何の問題もなく平静でいられてる時に薬物があればいいのにと思うことが多々あった気がする。
音楽を生業にしてた頃、業界の裏話を聞く機会がよくあった。アメリカの某有名バンドが日本にツアーで来た時、ライブ前に楽屋で草をキメて演奏をしてたという話。メンバー全員ハイな状態だから演奏はぐちゃぐちゃというほどではないものの、荒いステージだったようだ。気づいたお客さんもいたようだけど、チョ〜大物バンドを生で見れるだけで満足したようだ。向こうでは普通のことなんだよね。そういえば昔、ビックなミュージシャンも空港で草が見つかり逮捕された事件もあったよね。
モモは若い頃はお酒が飲めない体質だったからライブは常にシラフだった。
今年の春から薬物依存症専門外来に通い始めて、身体のデーターを調べる機会があって依頼してみたらお酒が飲める体質という結果だつた...。
不思議....若い頃はお酒を飲んで苦しい思いを何度も何度もしてたのに...。
人の体質って変わるんだね。
昨日、yourtubeでおおたわ史絵さんのインタビュー動画を見た。
お母さんがオピオイド系薬物依存症で、家族ともに辛い経験をされたことをお話されていた。
おおたわさんの経験は本でも読んだけど、その内容は刑事罰などはなかったものの、モモとその家族が経験してきたものより過酷だと感じた。
インタビューの最後に依存症についての思いを語った言葉は、
「依存症者が依存から完全に解放されるのは死ぬ時でしょうね...」
モモと家族はその言葉をそれぞれのおもいで聞いていたと思う。
モモはその言葉を改めて噛み締め、家族は
「おおたわさんって、よく屈折せずに生きてこれたよね...」って。
おおたわさんのお弁当を母親が作る時もあった時、お弁当の中にゆで卵が入っていて、それは殻のままで殻にマジックで顔が描かれていたとの事。
想像もできないほど印象に残るお話でした。
自分に置き換えてみると、モモにとって薬物は悪でない嗜好品的なものという気持ちもあったり、薬物によって全てを失ってしまう人もいたりして、依存症の本を読み、NAに参加し、専門病院に通院しても、まだまだわからないことがある感じです。
ただ、おおたわさんが言われた、死ぬまでつきあっていく病気なのは間違いないし、依存症といっても、当事者や家族それぞれに違うということを改めて実感しています。。。